善いことは波及する

くだらないことかもしれませんが、先日デュッセルドルフの街中を車で走っていて嬉しいことがありました。

ある交差点の赤信号の前で車が数台止まり、私の車は前から三番目で信号が青になるのを待っていました。

しばらくたって、信号が青になっても、一番前にいる車が発進しようとしません。

信号を見ていなかったのでしょう。

そういう時に、ドイツでは普通何が起こるでしょうか?

そうです。ドイツにお住いの方々はご存知の通り、そのすぐ後ろにいる車がクラクションを鳴らします。

それに気がついた先頭の車はやっと走り出します。

走り出す車のドライバーは多くの場合、後ろの車に対して「御免なさい」の手を挙げる合図をします。

その辺は、「へえ~、ドイツ人って潔良いんだ~」と変に感心してしまいます。

日本でならそういう時はパッシングなので、クラクションを鳴らされたら「うっせ~な~、そこでクラクション鳴らすか~?」とならないでしょうか?

さてその時に何が起こったかというと、二番目にいた車のドライバーはパッシングをしたのです。

日本では当たり前の光景でも、こちらでは珍しいことです。

ちなみに私も(日本人なので?笑)そういう時はパッシングをします。

ドイツでもパッシングで気付いてくれます。

日本人なら誰でも普通、ドイツで暮らしていても、そうしていると思います。

そしてこれは勝手な想像ですが、そのエレガントな?方法に気が付いたドイツ人が、「クラクションを鳴らすより、パッシングをした方がうるさくないし、スマートでいいじゃないか!」と、その方法を始めたのではないでしょうか?

悪いことも当然波及しますし、悪貨は良貨を駆逐するとも言います。

でも、善いことも間違いなく波及する筈です。

相手になるべく迷惑をかけないようにするという、世界を見れば類稀な日本人の国民性が世界に広まってくれれば、争い事もきっと減ると思います。

日本流が世界を良くする…

川崎

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進化が示す、健康法則・ なぜ人は生まれてきたのか?

なぜ人は生まれてきたのでしょうか。

世界三大聖人によると、残念ながらその理由は特にはないそうです。

それなのにその理由を探そうとするから、人はみな悩み苦しむのだそうです。

でもその理由、目的は実はあるのだと思います。

それは生きること、成長することだと思います。

それは人間の基本的な欲が示しています。

人間においてもっとも発達している前頭葉が支配するものなどではなく、大脳辺緑系の旧皮質が支配する、食欲、性欲(子孫繁栄)、つまり生き物として最低限必要とされるものが示していないでしょうか?

マズローの欲求5段階説などがあり、一番低いところにある生理的欲求がまさにそれですが、それは人間以外のどの生き物にもあるので、万物の頂点に立つという傲慢な考えから来るそれは下等なことなので、人間はもっと上の欲求に行くべきだといって最も大事なその基本が疎かになってしまっているから毎日、毎日、日本で100人もの人が自分で自分の命を絶ってしまっているのではないでしょうか?

人間も含めて全ての生き物は死ぬために生まれてくるわけがありません。

最終的には死にますが、天寿を全うするために生まれてきます。

きわめてまれな特別の病気などを除いて、生まれてくる生き物で、生まれた後に成長しないものはありません。

どんな生き物も、生まれてから必ず成長します。

だから全ての生き物は、生きるため、成長するために生まれてきたと思うのです。

但し、その成長にはいろいろなタイプがあります。

成長が大きいもの、小さいもの、早いもの、遅いもの...

ただ単に成長が早ければ、あるいは大きければ良いというものでもないとは思いますが、どんなに遅くても、必ず成長はします。

自分に合ったマイペースで確実に成長すればいいのではないでしょうか。

自分はなぜ生まれてきたのかと悩む必要は無く、一日一日、目の前にいる人・物・事を大事にして、それだけに的を絞って淡々とこなして前進していけばいいのではないでしょうか。

長い人生、時には後退しているように思える時もあるかもしれませんが、長いスパンで見て総合的に成長すれば良いのだと思います。

スポーツでも、勉強でも、仕事でも何でも、頑張って上達すると誰でも嬉しくなります。

それは生き物として、生きる目的である成長を本能、そして全身の細胞が喜んでいるからではないでしょうか。

遠い昔に、猿から分かれた人間は、どういう訳かその後いろいろなことを考えて頭が発達し、動物界の頂点に立つようになりました。

まだ歩くこともできないくらいに小さいうちに生み落とさないと母親の骨盤の中を通れないほどにまで頭は大きくなりました。

ネガティブに後ろ向きに考えていたら、今のようにはならなかったはずです。

淘汰されてしまっていたかも知れません。

ポジティブに、前向きに考えてきたから今の人間の姿があり、さまざまな発明もあったのではないでしょうか。

進化が示す、健康法則は実は今回をもって終わりとなります。

お読みくださった方々、長い間ありがとうございました。

「進化が示す、健康法則」の各ブログ内容は、次の本から取り出してあります。

川崎

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デュッセルドルフのうまいもん - とても美味しいケバブ - 意外と凄い三ツ矢サイダー

デュッセルドルフで最も美味しいケバブ屋さんのひとつをご紹介します。

デュッセルドルフの中央駅から出てすぐ右に行くと右側に映画館がありますが、その映画館を少し超えた左側です。

そこには何と3軒もケバブ屋さんが横に並んでいるのですが、一番先のSarayというお店です。

どうやって見つけたのかというと、お店の前をU-Bahnが通っているのですが、ある時そのU-Bahnにたまたま乗っていた時に、行列のできたお店がありました。

行列ができるくらいならあのお店は絶対に美味しいと思いました。それでもそのお店に行く機会ができたのは数年後。でも味は期待通りでした。

当時はまだマルクの時代。確か一個5マルクだったと覚えています。今でも相変わらず安くて僅か3,50ユーロ。1,50ユーロのトルコサイダー、Uludagと一緒に頼んでも、5ユーロでお腹が一杯になります。

お肉の種類は、鶏肉、ラム、Kalb(仔牛)の三種類。お好みで注文できますが、欲張りな人には三種類が混ざったミックスがお勧めです。

「野菜は全部OK?」

「辛いソースはOK?」

と必ず聞かれるので、「Alles, OK..!」と答えます。

辛いソースはそんなに辛くないのでご安心を。

さて、一緒に頼むアルミ缶入りトルコサイダーのUludagですが、これが結構美味しくて気に入っています。

書いてある表示を見てみると、1930年からとあります。「ほ〜、もう87年の歴史!」

そこで気になって三ツ矢サイダーを見てみると、販売開始が何と1884年!

Uludagよりはるかに古い!

そこでさらに気になって調べてみると…:

スプライト 1961(何と、ドイツのコカコーラ社からセブンアップに対抗して発売開始される)

セブンアップ – 1929

清涼飲料水は何でもアメリカがオリジナルかと思っていましたが、これらの透明物では三ツ矢サイダーの歴史が最も長いようです。

川崎

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進化が示す、健康法則・笑う門には福来る

2004年に、遺伝子工学で世界的権威の村上和雄筑波大学名誉教授が、吉本興業と協力して糖尿病患者に漫才を聞かせると、血糖値が著しく改善するという実験を行いました。

村上さんが笑いと遺伝子の研究をしていることはご存知の方も多いと思います。

吉本新喜劇はそれ以前にも、1991年に伊丹仁朗さんという、岡山でガン患者の生きがい療法を提唱する医師と一緒に19人のガン患者や心臓病患者、健康人を集めて3時間大笑いする実験を行っています。

その実験でも、笑いによって、身体の中のガン細胞をやっつけることが分かっているNK(ナチュラルキラー)細胞が活性化することや、糖尿病の血糖値を下げることが分かったそうです。

笑いの効用を医学的に証明したものだったそうです。

 

笑いの程度が大きい人ほど効果が高く、結果がその場ですぐに分かるものだったので、患者さん同士で「下がった!下がった!」と大騒ぎになったそうです。

そしてその結果はアメリカの糖尿病専門誌に掲載され、ロイター通信で世界中に知られました。

そこで笑い話がひとつあります。

実験の時に漫才で出ていたのは、当時のB&Bという芸人コンビだったそうです。

番組が終わってから、筑波大学には日本中の糖尿病患者から連絡が入り、「B&Bという薬はどこで売っているのですか」という問い合わせが殺到したそうです。

その後奈良県の天理よろず相談所病院というところでは、糖尿病専門外来でお笑いビデオを診療に使っているそうですが、約70%の人に効果が出ているそうです。

70%も効く薬は普通特効薬となるそうですが、ではなぜ30%の人には効かないか。

その人たちは残念ながら笑えない人たちだったのです。

 

ノーマン・カズンズという人はご存知でしょうか。

ビタミンCと笑いで、不治の病とされている、免疫系統がおかしくなってしまう膠原病を治してしまった人です。

元々はアメリカで有名な雑誌、「サタデー・レビュー」 の編集長でしたが、膠原病にかかった時に、毎日ビタミンCを大量に摂取すると同時に、お笑い番組のビデオや本を多く見て治してしまいました。

広島原爆で被害を受けた原爆孤児達に強い衝撃を受けて、その孤児たちや女性(原爆乙女)たちのために多くの義援金を集め、原爆乙女たちを、ニューヨークの病院に送って手術を受けさせ、核兵器廃止運動、環境汚染反対運動、世界連邦運動の指導的活動家としても有名です。

義援金を集める際には、原爆乙女たちやその家族と、原爆を投下した当時のB29、エノラ・ゲイ号の副機長であったロバート・A・ルイスとを、テレビで対面させることによって、大反響を得て成功させました。

それらの功績により、広島市特別名誉市民の称号を受け、広島県の平和記念公園にノーマン・カズンズ記念碑が建立されています。

たかがビタミンC、されどビタミンC、たかが笑い、されど笑い。ガンだけではなくて、膠原病も治してしまうようです。

 

ビタミンCと聞くと、風邪を予防したり、肌がきれいになったりと、ポジティブな印象がありますが、実際にもその効果には大きなものがあります。

人間をはじめ、猿、モルモット、コウモリなど、ごく一部の哺乳類は、ビタミンCを体内で合成できないので、食品から摂取するしかありません。

しかも脂肪などとは違って、体内に貯蔵できないので、頻繁に取る必要があります。

食べる量の100グラムに対して約100ミリグラムのビタミンCを含むレモンは、ビタミンCを多く含む果物の代表格として知られていますが、赤ピーマンにはそれ以上のビタミンCが含まれているのはご存知でしょうか。

レモンの色が黄色いせいか、ビタミンCを多く含んだドリンクなど、ビタミンCを連想させるものには黄色いものが多いのですが、実際のビタミンCは無色透明だそうです。

ビタミンCはとても酸化されやすいので、抗酸化作用があることになります。

その作用を利用して、食品や飲料の酸化防止剤として利用されます。

例えばペットボトルのお茶やケチャップなどに、酸化防止剤としてビタミンCが添加されています。

ビタミンCは体内でコラーゲンが形成される時に必須の成分なので、不足すると歯ぐきや皮膚から出血する「壊血病」になります。

かといって取り過ぎても体内に吸収されにくくなるので意味がないそうです。

厚生労働省では、12歳以上であれば、一日に100ミリグラムのビタミンCを取ることを推奨しています。

川崎

 

 

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健康保険って、本当に保険でしょうか?

そもそも保険の始まりは、何かのリスクに対して、大勢の人がお金を少しずつ出し合っておいて、もし誰かがそのリスクを被ってしまった場合に、みんなで集めた、塵も積もれば山となるお金でカバーしようというものだと思うのです。

ちなみに辞書にも…:

①偶然的に発生する事柄(保険事故)によって生じる経済上の不安に対処するため、あらかじめ多数の者が金額を出捐し、そこから事故に遭遇した者に金銭を支払う制度。

となっています。

この、「大勢の人が、少しのお金を出し合っておいて、もし誰かがそのリスクを被ってしまった場合に…」が大事なポイントです。

日本人の一人、一人から僅か1円ずつだけ集めても1億円の大金になります。

例えば車の自賠責保険や災害保険。

その確率は低くて起こらないかもしれないものの、もし起こってしまったら大変だという場合です。

でも健康保険は?

健康保険代は、みんなから少しずつ集めるにしては、1人ずつの健康保険代の金額が大き過ぎると思います。

でも、それもそのはず。

年がら年中、お医者さん通いする人も多ければ、薬に浸かりっぱなしの人もいます。

その反対に、お医者さんや薬とは縁のない人もいます。

誰もが払う、高額な健康保険代金合計でもまだ足りず、後者が前者を支えている形になっているはずです。

あるいは健康保険会社が儲け過ぎているのでしょうか?

あながちノーとは言えないと思います。

大きくて立派な建物の保険会社が何社もあり、その社員数はすごい数ではないでしょうか。

それらの費用は全て、私達が支払う保険代金がカバーしているわけですが、前述の通り、「日本人の一人、一人から僅か1円ずつだけ集めても1億円の大金になります。」

誰もが支払う保険料合計から、不幸にして起こってしまった事故や病気に補償として支払われ、残りは保険会社の社員のお給料他、保険会社の経費に充てられます。

保険会社以外にも、かなりの数の保険代理店もあります。

プールしたお金で損害の補償が足りれば保険会社が太り、足りなければ保険代が上がる仕組みのはずです。

以前勤めていた会社で、プライベート健康保険に入っていた人は、「保険が払ってくれるので、メガネを毎年買い替えている」と、まるで自慢するかのように言っていました。

でもちょっと待って…

一年に一回も新しいメガネが必要でしょうか?

数年に一度で十分ではないでしょうか。

保険会社が出してくれるからと言って、その条件に甘えて毎年メガネを取り替えたりするから保険代が高い(高くなる)のではないでしょうか?

つまりそれは、自分で自分の首を締める行為…

保険会社側も、かなりの殿様商売に思えてなりません。

昔、一度、保険代理店の人に自分の家の窓ガラス保険に入るかどうかを聞かれたことがあります。

自分自身や子供が、何かの弾みで窓を割ってしまうのならまだ話も分かりますが、どこからか石などが飛んできて、家の窓が割れてしまうことなどあるでしょうか?

隕石の落下?

確率はゼロではないでしょうが、確率性のゼロの下に小数点がいくつ付くレベルのお話しでしょうか?

誰かが投げた石が割るのなら、その人が自賠責で弁償するものです。

実は私も1990年頃から健康保険はプライベートでした。

その頃は(今も?)、駐在員向けの健康保険が法的健康保険より安かったのです。

でもいつの間にか、結構の金額に上がっていましたが、そんなある日、ある保険のエキスパートらしきドイツ人から電話がありました。

「今、支払っている健康保険代はいくら位ですか?」と聞いてきます。

普段はそのようなセールスコールは丁重にすぐ断るのですが、その時は余程暇な時だったのか、相手の話し方がうまかったのか、うろ覚えしていた数字を答えると、それは払い過ぎだと言います。

彼のオファーはこういうものでした。

「もし私が提案する方法があなたに気に入られて採用させてもらった場合、6ヶ月間の間だけ、得した分の金額を手数料としていただけませんか?」

詳しく計算してもらうことになりました。その結果は、これだけ安くなれば、間違いなく誰でもそれを依頼するであろうという位のものでした。

もうしばらく前のことなので、実際の細かい数字は忘れてしまい申し訳ありませんが、その方法とは次の通りです。

一年間に500ユーロ以内で収まる医療費は自己負担をする。そして500ユーロを超える場合は保険を使う。

つまり、もしあまり怪我をせず、病気にもかからない人の場合、こちらの方がはるかに得です。

でももし怪我をしたり、病気になっても、500以上の費用がかかれば保険はおります。

もしもの時には頼りになる…

つまり、本来の保険の効力は生きている…

これこそが、本来の保険の考え方ではないでしょうか?

この方法は、今まで入っていた保険を解約して、新しい保険に入り直すというわけではなく、同じ保険のままで条件を変えるだけです。

相手が用意した書類にサインをすれば、あとの手続きは全て相手が行ってくれます。

サインをした書類を送り返してしばらくすると、保険代理店の人から電話がかかってきました…:

保険代理店の人:

「保険の条件を変えられたそうですね…」

私:

(心の中で…あっ、そうだ、保険代理店の人がいたんだ…)「あっ、はい、そうです…」

うちは幸か不幸か、夫婦でドイツ語ができるので、健康保険関係のコミュニケーションは保険代理店の日本人を通さずに、直接保険会社と行っています。

そこでいつも保険代理店の存在を忘れてしまうのです。

保険代理店の人:

「仰って下されば、こちらでも手配出来ましたのに…」

…と、代理店を飛ばして勝手にされたことが?かなり残念そうでした。

そうか、今回の提案者は、保険会社と直接変更の手続きを行って、保険代理店は後からそのことを知ったんだ…

電話を切った後…

えっ、でもちょっと待って、「仰って下されば、こちらで手配…」って言われても…

そんなシステム・条件・オプションがあることも知らされていないのに、どうやって言うの?

お得な方法があっても特に知らせずに、相手がそれに気がつくと、途端にとぼける(笑)?

でもそういう相手を責めることは出来ません。

なぜならこういう怠慢は、人間なら誰でもついつい日常やってしまっているからです。

他に安いオプションがあっても、ついつい高めの商品のままにしておく…

でもそこに競合の付け入る隙が出来ます。

さてところで、あまり怪我をせず、病気にもかからない人というのは稀でしょうか?

ごくごく普通一般の人がそうではないでしょうか?

ごくごく普通一般の人なら、一年にゼロ~1、2回、風邪をひく程度ではないでしょうか。

そしてその風邪も、放っておけば治ってしまうレベルではないでしょうか?

せいぜい風邪薬を飲む程度で、医者に行くのはどの位の頻度でしょうか?

それにしては保険代が高くないでしょうか?

でも、たまには変わった人もいます。

日本に住む私の知人の1人もそうです。

年がら年中、風邪をひいたと言っては友人である医者に行って薬を処方してもらっています。

それがどんなに軽い症状でも、「病気になる=薬が必要=医者に行く」という自然の流れになるようです。

なので、そういう人にはこの方法は向かないかも知れません。

あるいはその人に考え方を改めてもらうか…

病気がちなご年配の方々にも向かないでしょう。

ドイツに住む日本人の大多数は駐在員。働き盛りの30代~50

代です。

つまり、病気も怪我も少ない(から海外に送られる)ということで、プライベート健康保険に安いものがあります。

それでも前述のシステムだとさらにかなり安くなります。

私の場合は、本来なら健康保険のシステムそのものが不要で、怪我や病気の場合は自腹を切って医療費を出した方が、毎月の保険代を出すより安いのではないかと思います。

でも世の中のシステムが既にそうなってしまっているので、健康保険に入っていないと、イザという時にお医者さんで受け付けてくれないと困ります。

だから保険に入っていますが、噂では、デュッセルドルフに住む知人の1人、ツワモノは若かった頃に健康保険に入っていなかったそうです。

病気とは元々、自分の体が治すものです。医者や薬が治すのではありません。

最もかかりやすい病気であろう風邪でも、40度近い熱があるとか、頭がガンガンするとかいう重い症状でなければ、医者も薬も不要で数日で治ってしまいます。

医者や薬に頼り過ぎの人が多過ぎないでしょうか?

昔、勤めていた会社の同僚が風邪で医者に行った時に言われた言葉というのをいまだによく覚えています。

その時のお医者さん曰く、「その位の風邪なら、プールに行って泳いで汗をかいてきなさい。治ってしまうから」

立派なお医者さんだと思います。

そう言えば、日本では医者が何かと「安静」と言い、ドイツでは「なるべく身体を動かせ」と言います。

川崎

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進化が示す、健康法則・情報とは、新鮮な心が幸福を返すもの?

情報というのは、出せば出すほどいい効果が現れると思います。

情報があふれている現在は、情報の過密状態なので、その情報をキャッチしてもらえるかどうかは別としても、情報がなければ思いは伝わりません。

種をまかなければ芽は決して出ません。

種をまいたからといって芽が出るとは限りませんが、種をまかなければ芽は絶対に出ないのと同じです。

困っている時や苦しい時、人は普通その情報を隠す傾向にあります。

恥ずかしいと思うからでしょうが、実際には自分が恥ずかしいと思うほど人は気にしていないものですし、その情報が伝わると助けを出してもらえる可能性が出てきます。

でもその情報が伝わらなければ、助けが出てくる可能性はゼロです。

反対にいいことの情報も、自慢にならないように気をつけて、単なる情報として出せば、そこから良い相乗効果が出てくる可能性も生まれます。

最近、情報という漢字は、青い心(つまり新鮮な心)が幸せを返すと書くように思えてきました。

新鮮な心で情報を取り扱えば、幸せが返ってくるのではないでしょうか。

 

日本の漢字は、日本で独自にできたものも多いようですが、オリジナルは3500年前くらいから中国で作られ始めたそうです。

それは天下の3大聖人たちさえもが誕生する以前のお話になります。

中国はすごいものを作ってくれました。

夢が叶う時の叶うは、十回口にしていると叶う、と書くそうですし、信じ(させ)る者が儲かり、忙しいという字は心を亡くすと書くそうです。

 

ここ最近スマホやアイフォーンでメールのやり取りや、インターネットのアクセスも自由自在ですが、そういう機器の影響で生活スタイルというか、生活の姿勢が大きく変わってきてしまったような気がします。

以前は人前で携帯電話を受信するのは、目の前にいる相手に対して失礼でしたが、今では気楽に受けてしまう傾向にあります。

数人で集まっている時も、その中の誰か、ひどい時は数人が、メールなどのチェックを行っている姿を頻繁に見かけます。つまり皆が納得済みでやっていることのようです。

 

世界中のビジネスマン・ビジネスウーマンたちも、アイフォーンやスマホを使って、ミーティングの最中でも入ってくる情報をチェックして返事まで書いている人もいるようです。

でもそれは本当に正解でしょうか。過去と将来のことを考えても意味が無く、今現在のことだけを考えるのが良いのと同じように、今現在目の前にいる人・事を大事にする方が良くないでしょうか。

その理由もごく簡単。

誰かと話合っている時に、何かの連絡が入ってくるとします。

その連絡の発信者は、受信者が現在どういう状況下にいるのか分かりません。

つまり、今すぐに答えても後で答えても相手に与える印象の差はほとんどありません。

ところが、今現在、目の前で話している人は、相手の姿がそこにあってよく見えます。

つまりごまかしも利きません。

親族の交通事故や危篤の知らせなら分かりますが、そんなものが頻繁に入るわけでもないのに、常に通信機器でスタンバイして応じるということは本当に良いことなのでしょうか。

川崎

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進化が示す、健康法則・言いたい欲が邪魔するコミュニケーション

誤解というものをなくすには、それだけ多く話し合うしかありません。「話せば分かる」とはよく言ったものです。そこで忘れてならないのは、人間には誰にでも「言いたい欲」があることです。その「言いたい欲」が、スムーズなコミュニケーションをしばしば妨げます。

ある2人の間で議論されている内容を詳しく聞いてまとめてみると、結局2人とも同じようなことを言っている、意味しているのにもかかわらず、どういうわけか、平行線の口論になってしまっていることを見かけたことがないでしょうか。

ほんのわずかな違い、というか表現が違うだけなのにむきになって言い争っているのです。

 

なぜそうなってしまうのでしょうか。それは、「言いたい欲」が邪魔をしているからです。

情報の発信者にとっては、ある情報を受信者に伝えることが目的です。

その目的を達成するための手段であるコミュニケーションの最中に、「言いたい欲」 に邪魔されて目的が入れ変わってしまいます。

また、相手の反応が自分の想像と違う場合に、何とかして思い通りにしてやろうと思ってしまいます。

子供を叱る時に求める返事もそれです。

何が何でも説得して同意を求めるのです。

そうなってしまうと議論に勝って、友やお客さんを失ってしまうことになりかねません。

それでは意味がないどころかまったく目的とは正反対になってしまっているのですが、実際にはそのようなことが意外と頻繁に行われていて、後でハッと気がついたりします。

 

通訳の仕事をしているとよく気が付くことがあります。

発信者が出す情報を、いかに正確に受信者に伝えるかが通訳にとって最も大切な仕事です。

そこで本来は、発信者は通訳を通して、自分が出す情報が受信側に正確に伝わっているかどうかが気になるはずなのですが、それを気にする人はめったにいません。

多くの情報発信者は、自分が伝えたい情報を通訳に話してしまうと、それでもう満足してしまうのです。

これも、発信者の言いたい欲が、通訳に伝わることによって満たされてしまうからではないでしょうか。

私の経験でも、発信する情報が通訳を通して受信者まできちんと伝わることまで気にした人は今までひとりしかいませんでした。

通訳を信じきってしまっているからでしょうか。通訳も人の子。会話を常に100%正確に伝えることは不可能です。

もしそれを続けて真剣に行っていると、通訳はあまりの緊張であっという間に疲れきってしまいます。

そこで通訳の質のレベルの差が出てきます。

通訳のレベルもピンキリですが、それはバイリンガルも一緒です。

一般にバイリンガルと聞くと、2ヶ国の母国語を自由自在に操るように思いがちですが、バイリンガルも人の子。普通、ひとつの母国語を覚えるところを、その倍の言語を100%マスターすることはできません。

国際舞台で同時通訳をこなすようなハイレベルの人たちは別としても、片方の母国語が例えば80%で、別な方は70%というレベルが精一杯です。

日本人両親の元で育つ日本語とドイツ語のバイリンガルの場合、どちらの言語もなまりなどが一切なく流暢に話せても、日本語の方は単語数が少なくて漢字に弱くなったり、ドイツ語の方も単語数が少なくて、例えば文化について深く語れないなどということがあります。

家庭でのドイツの文化のバックグラウンドがないからです。

 

さて、コミュニケーションには面と向かって話す方法、電話で相手の顔や様子がわからずに話す方法、そしてメールや手紙の文章による方法がありますが、当然どれも一長一短です。

昔の小学校では、手紙の一番最初に書く受け取り人の名前の後に「様」を付けるように教わりました。

最近、数人の友人、知人から、「様はやめて下さいよ(笑)!」と書かれてしまいました。「水臭いじゃないですか(笑)!」というわけです。

ですがそれは別にへりくだったりしているわけではなくて、昔そのように学校で習って以来の長い習慣で、自然にそうなってしまっているだけです。

 

面と向かってお話をする時を基準に考えると、電話の時にはそれより丁寧に話す。

そして手紙の時はそれよりもさらに丁寧に書く。

面と向かって話す時は、自分の言ったことに対する相手の反応を直接うかがえます。

表現や説明が不適切だったりして、もし相手が納得のいかない思いをすれば、相手の様子でそれが何となく分かります。

だから、すぐに謝る、訂正する、追加情報を与えるなどのフォローをすることができますが、これが電話となると相手の顔が見えないので、場合によってはまずいことを言ってしまったのに気がつかないなどということもあります。

そこで電話の場合は面と向かって話す時よりも、丁寧に話した方が良いというわけです。

さらに手紙の時には受取人に、差出人の口調や思い、雰囲気さえ分かりません。

本当に伝えたいことを、その雰囲気や気持ちまで文章で伝えようとすると、大変な文章の量になり、細心の注意も必要になり、文法などの文章の完成度の問題も出てきます。

もし人に何かを伝えようとする時に、仮にそれが話せば簡単なメッセージでも、文章にしようとすると大変な労力が必要なのはそのためです。

 

インターネットの普及で、知らない人同士が簡単につながるようになりましたが、トラブルも多発しているようです。

ひょっとしたら、最近の若い人たちの間では、それらの点で考慮が十分ではないのかもしれません。

昔の小学校で習った、手紙の最初の名前には様を付けるというのは、知り合いや友人関係の間では水臭いと思う人も多いのかもしれませんが、親しき仲にも礼儀ありです。

面と向かって話す時でも本当は要注意です。

時と場合によりますが、お互いに勘違いしていて、思ったことが全然伝わっていなかったということもあります。

日本人同士の面と向かった日本語でのコミュニケーションですらそうですから、例えばそれが英語によるドイツ人とのコミュニケーションとなると、果たして一体どのくらい本当に思ったことを正確に伝えることができるのでしょうか。

川崎

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カテゴリー: ドイツの暮らし, 医療と健康
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