「1日に 2リットルの水を飲むと健康に良い」は本当?

ここしばらく、1日に水を2リットル飲むと健康に良いというお話・宣伝を時々聞きます。

ドイツに長く住む私が知っているのは、例えばボルビックの宣伝。

本当でしょうか(笑)?

自分のすぐ周りでも数人が実行しています。

その内の1人は言います。

「朝は特に血がドロドロになっているから、きちんと水を飲まなきゃ…」 と...

そこで私がついつい聞いてしまうのは、「喉は渇いているのですか?」です。

答えはノーです。

でも、「喉は渇いていないけど、朝は血がかなりドロドロになっているはずだから…」

さて、本当に血はドロドロになっているのでしょうか?

確かに例えば朝オシッコをすると、色が濃い(黄色い)ことがよくあります。

でも血の場合、その濃さの違いとは、サラサラがドロドロになる程ひどい粘度の違いでしょうか?

人間(生き物)の身体って、必要なものは自然に身体が求めないでしょうか。

お腹が空くとか、身体に水分が不足してくると喉が乾くとか…

汗をかいた時は、喉が渇いて水が本当に美味しいです。

お腹が空いた時も、食事は本当に美味しいです。

(あまりお腹が空いていない時には)たいして美味しくないものも、どういうわけか空腹だと美味しくなります。

それも身体のセンサーのなす技ではないでしょうか?

身体がそれを求めてもいないのに食事をしたり水を飲む必要が本当にあるのでしょうか?

お相撲さんは別です。

そして身体のそういうセンサーが壊れている人も話しは別です。

つまり、病気の人です。

そんな時に、丁度武田邦彦教授の動画がユーチューブで見つかりました。

興味があれば一度ご覧ください。

(ユーチューブでも動画ではなく音声のみです)

では、身体が必要としていない水を無理して(?)飲んでいる知人にどうしてそれを伝えないのでしょうか?

それは、ヤボってものだからです。

誰が何を信じるかは、その人の自由です。

キリスト教を信じている人が、仏教を信じている人にキリスト教を勧めるのは野暮ではないでしょうか?

その逆もしかり。

そういうことをすると、最悪の場合は宗教戦争などになります(?笑)。

人間って、よっぽど柔軟じゃないと、最初に得た情報を優先して、後から入る情報を排除しようとする傾向があります。

最初に入ってしまっている情報が、どうしても正しいと思いがちです。

次に入る異なった情報はどうしても排除しようとしないでしょうか。

敬遠されることが分かっているのに、わざわざそれを指摘して嫌われるかもしれないリスクを負う必要があるでしょうか?

水を多く取り過ぎると健康を害すると言うのなら別です。

そういう場合は嫌われるのを覚悟でも言うかもしれません。

でも、多少水を飲み過ぎても死ぬ人はいないでしょう。

だったら本人が満足する方が良いと思います。

慰安婦問題や南京問題についても似たようなことが言えます。

以前ひょんなことから、ある日本語がペラペラのドイツ人と南京問題のお話になりました。

私が、あれは証拠もない捏造のお話ですと言うと、その次に会った時に「このKatsuichi Hondaさんの本に書いてあります」と、わざわざその本を持って来て見せてくれました(笑/汗)。

世の中には嘘を書いてる本も間違いなくあるだろうとは誰でも思っていても、自分が読んだ本がそうだとは思わないものです。

だから、無理して「いや、それはフェイクインフォメーションですよ」と言って相手の知識を無理やり変えさせようとするのはヤボなことだと思うのです。

日本ファンドイツ人は、そういった本やプロパガンダのせいで、南京問題も、慰安婦問題も、どちらもあったものと普通は思っています。

にもかかわらず、日本ファンです。

とてもありがたいことです。

日本が好きになったり、日本に興味を持って日本語をマスターしたドイツ人にとって、日本にも南京問題のような虐待の歴史があった方がより好感が持てるとも思います。

慰安婦問題は、ロジカルに考えさえすればそれは有り得ないとすぐに分かるので、Behind the Nanking Massacre の登場を期待します。

川崎

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日本語は人を優しくする?

のではないかと思ったことが何度かあります。

日本語が多少出来るドイツ人が日本語を話すと、とても優しく、可愛く感じられることがあるからです。

ドイツ人2人がドイツ語で話をしていると、ドイツ語ができない日本人にとってはそれがまるで喧嘩をしているのではないかと聞こえる時があります。

話の内容を理解できれば、それが決して喧嘩をしているわけではないことが分かりますが、そう聞こえてしまう時があります。

会話の雰囲気が激しく感じられるだけです。勿論全てのドイツ人同士の会話がそうであるわけではなく、おとなしく話しているように聞こえる時もあります。

ドイツ語を話していると、そのようにとても威勢が良く聞こえるように話す人でも、いざ日本語で話し始めると、とても優しく聞こえてしまうことがあります。

良く言えば優しいというか、可愛いというか、控え目のイメージというか、悪く言えばパッションが弱いと言うか

自己主張、個人主義の西洋の国の言葉と、謙遜、謙譲、謙虚の国の言葉の違いでしょうか。

日本語の表現には不思議な効果があるのでしょうか?

そういうことを今まで他の人から聞いたことがなかったので、そう感じているのは自分だけかと思っていました。

ところが先日、月刊誌「致知」8月号、筑波大学名誉教授で社会言語学者、津田幸男名誉教授の「加速する英語支配から日本語を護れ」という記事に似たようなことが書いてあるのを見つけました。

そして、最後の理由が、少し大仰ですが世界平和のためです。日本語には努めて「私」という主語を控え、相手との調和を重んじる優れた表現方法があります。25年間、外国人に日本語を教えてきた言語学者は「外国人が日本語を学ぶと、不思議にも穏やかになる」と言っています。日本語には人を穏やかにする「平和の力」が秘められているのでしょう

正に私が感じていたことが書かれていました。記事の趣旨は、「英語!、英語!と声を張り上げる前に、日本人にはバックボーンとなる日本語をもっと真剣に!」というようなものです。

似たようなことは、藤原正彦教授や武田邦彦教授も仰っています。

それにしても本当にそこまで日本語に平和のマジックが隠されているのか

うちの子供たちはドイツの現地校に行っているので、小1から英語、その数年後にフランス語などが始まり、家では日本語、それ以外の普段の生活は全てドイツ語というかなりのごちゃ混ぜ状態です。

津田幸男名誉教授、藤原正彦教授、武田邦彦教授などが心配するように、早い時期の日本人の子供の外国語の学習は良くない。まずはバックボーンとなる母語、日本語をしっかりと、ということであればうちの子供たち3人がとても心配です。

ところで人を優しくするという点では、日本語だけではなくて、日本人の振る舞い自体にもそれが当てはまると、いつから気が付きました。

一般的な日本人が小さな時から躾けられる、「人に迷惑をかけないようにする」、謙遜、謙虚、謙譲、気遣い、気配りです。

ドイツでは、小学校の頃から個人主義、自己主張を叩き込まれます。

日本の小学校の成績は、テストの結果が物を言いますが、ドイツではどんなにテストの成績が良くても、授業中に盛んに手を上げて発言しないと良い成績をもらえません。

ドイツ生まれのドイツ育ちなのにもかかわらず、どういうわけかあまり発言をしないうちの愚息などは、先生に知恵足らず?かと疑われてしまったほどです。

でも謙遜、謙虚、謙譲、気遣い、気配りは世を平和に導くものではないでしょうか? 

個人主義、自己主張がはびこる世界に少しでも謙遜、謙虚、謙譲、気遣い、気配りが広まれば、世の中の争いごとは間違いなく減るはずです。

日本人のように、事あるごとに「すみません」、「ごめんなさい」を連発していれば、争いごとが絶えない地域もかなり平和にならないでしょうか?

ドイツ人の中にも勿論、謙遜、謙虚、謙譲、気遣い、気配りのある人はいます。そして日本人のお婆さんのように腰が低くてすぐに謝るドイツ人のお婆さんもいます。そういうお婆さんは熱心なキリスト教信者だったりします。

よってあくまでも日本人だけがそうなのではありませんが、一般的に比較したレベルです。それは各国の弁護士の数も物語っています。以前、「ドイツでの弁護士とのお付き合い」で書きましたが

日本では、約4.500人に1人の割合で弁護士が存在する計算になりますが、その割合がドイツでは約560人に1人になり、アメリカは約30人に1人です。

日本人は、世界で最も揉め事を弁護士を必要とせずに解決してしまう国民の一つではないでしょうか?

いえ、もっと正確に言えば、日本は世界で最も揉め事が少ない国の一つではないでしょうか?

国民的に「人に迷惑をかけないように」と小さい頃から躾けられればそれは当然のことかもしれません。

外国人日本旅行者の増加や日本ファン外国人なるありがたい外国人が多く存在することの理由の1つに、そういった日本人の国民性があるように思います。

だとしたら、日本人は西洋の個人主義、自己主張に染まってしまうのではなく、逆に日本オリジナルの謙遜、謙虚、謙譲、気遣い、気配りを守るべきではないでしょうか。

1つだけとても困るのは、そのガラパゴスの生き物かのように稀有な特性は、広い世界に出ると盗難などの格好のカモとしてそのターゲットにされてしまうことです。

外交が弱くなるということも言えます。以前、国交が日本と必ずしもシックリといっていない近隣諸国23カ国に対して、「相手の嫌がることはしない」というようなことを言った首相がいるそうですが、それなども良い例です。

外交でそんな純日本的なことをしていたら、日本の領土はどんどん小さくなってしまいかねません。

もし、謙遜、謙虚、謙譲、気遣い、気配りだけで海外に出ると、好感は持たれても本人はズタズタになってしまいます。

大したことはない時には放っておいても、西洋人の相手が大きく間違っていて譲れない時は凛とした気概を持って立ち向かわなければなりません。

川崎

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カテゴリー: ドイツの暮らし

Behind the cove(ビハインド・ザ・コーヴ)、シー・シェパードの捕鯨反対の実態

The cove という映画を見たことか、聞いたことがあるでしょうか?

イルカ漁や捕鯨をする日本人を残酷だと訴える映画のようです。

そう聞くとついつい、じゃあ裏には反日が好きな某国が? と考えてしまいます(笑)。

The cove は当時、結構話題になったようで、フェースブックなどでも誰かがイルカ漁反対キャンペーンを張って、それに誘いを受けた記憶があります。

そして今度は日本人の女性監督が、The coveに対抗する映画、Behind the cove を自費400万円をかけて作り話題になっているそうです。

The cove という映画、どうやらイルカ漁や捕鯨をする日本人を大袈裟に残酷に写し出しているようです。

Behind the cove は、最近のニュース女子という番組で紹介されていますが、司会者がとても興味深いことを言っています。
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「誰が、人間が食べることの許される生き物を決めるのか?」
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デュッセルドルフの日本総領事館の前では、時々捕鯨かイルカ漁の反対デモを見かけます。
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十数人のレベルなのであまり目立ちませんが、それでもやはり日本人にとっては気持ちの良いものではありません。
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昔、肉屋をしていた関係から、肉を仕入れるのに毎週デュッセルドルフの大市場に行っていました。
そこにはすぐ隣に屠殺場がくっついています。
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牛も豚もその屠殺場で殺されて、すぐに足のアキレス腱の所でフックで吊るされて、吊り下がりタイプのベルトコンベアーでゆっくりと運ばれて行きます。
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ゆっくりと運ばれていく先は大市場の肉売り場ですが、その途中で解体されるようになっています。
屠殺場の一番手前の方は檻になっていて、数十頭もの牛か豚が入っています。
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その先の方が狭くなっていき、突き当たりの幅は丁度牛や豚が一匹しか入れないようになっていて、出られないように後ろの扉が閉められます。
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牛や豚は屠殺されることが分かるのか、なかなかそちらの方に行かないので、電気でしびれる道具がお尻に当てられてしぶしぶ動きます。
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突き当たりの屠殺エリアでは、これから何が起こるのかを知っているかのように、牛の場合は涙を流し、排泄物さえも少し漏れています。
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屠殺エリアでは、横の台の上に乗った屠殺人が筒状の屠殺道具を牛の頭に当てるとすぐに牛は倒れてこの世を去ります。
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筒状の物には、中に鋭くて細い棒状の物が入っていて、それを牛の頭に当てると中の棒状の物が火薬で勢い良く出て牛の頭を突き刺すようになっています。
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倒れた牛の足にはすぐにフックがかけられて逆さまに釣り上げられます。
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宙ずりのまま、まずは首が落とされて皮が剥がされます。その辺りでは、ホースで水道の水がずっとかけられっ放しで血が洗い流されます。
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そして一匹の牛が逆さま宙ずりの状態で少しずつ解体されて移動し、最後は大市場の肉売り場に届くのです。
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あの現場を生で、そしてすぐ目の前で見たら、特に女性なら数人〜十数人に1人はもう2度と肉は食べられなくなって、ベジタリアンになってしまうのではないかと想像できます。
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日本人がまさかイルカ漁などをしているとは今まで知りませんでしたが、その国民性から言えば、食用などの人間が行きていくための漁だと容易に想像できます。
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昔のアメリカのように、脂だけ取って残りのほとんどは海に捨ててしまう捕鯨とは意味が違います。
そこでもう一度、番組の中で言われている、
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「誰が、人間が食べることの許される生き物を決めるのか?」
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…という問いがとても気になります。
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イルカは可愛いから食べてはダメなのでしょうか?
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ウサギも可愛いのですが、ドイツでも食べます。   日本も?
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牛や豚、鶏なら可愛くない(?)から食べても良いのでしょうか?
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フランスの食用ガエルは?
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ちょっと話が違いますが、私はイナゴを食べることができません。バッタを口に入れて噛むことができません。
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イルカ漁や捕鯨に反対している人たちはひょっとしたらベジタリアン?
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もしそうだとしても、植物なら良いのでしょうか?
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そこで気が付くのは、そういうことをとやかく言えるのはフルータリアンでしょうか?
フルータリアンなら殺生ゼロだからです。
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Behind the cove の紹介は27分15秒位からです。

川崎

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日本のメディアが報道しない、今起きているアメリカの重大事件

藤井厳喜さんという、ハーバード大を出たエリート中のエリート国際経済学者が先日、ロシア疑惑に関して驚くべき関連ニュースを解説していました。

そして本日、その件でアメリカでは今、当時の司法省とFBIがクリントン陣営に加担していた事実が浮かび上がってきたそうです。

FBIは勿論のこと、司法省などは完璧に中立な立場が求められるのに、ロシア疑惑まみれは本当はヒラリーさんなのに、その疑惑の濡衣をトランプさんに着せようとしていたというのです。

正に日本のモリカケ問題と同じです。

よくそんな中でトランプさんは当選しましたが、事実が明るみに出てきても、いまだに反トランプ勢力は強くてクリントンさんも悪戦苦闘のようです。

虎ノ門ニュースという、毎日2時間も続く長いニュース番組ですが、そのニュースは本日一番最初に出てきたので、興味のある方はご覧下さい。

川崎

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今、風邪を引いたと思っている人はいませんか?

それって、花粉症では!?

 

今年の花粉(症)は、ちょっと異常な気がします。

 

まだ1月ですが、数日前からものすごいクシャミが出始めました。

 

ひょっとしたら、久しぶりに風邪を引いたのかと思いましたが、どうやら違うようです。

 

クシャミが何度も出たら鼻をかみますが、それで終わり。

 

風邪の症状はありませんが、目が無茶苦茶痒い…

 

これはひょっとして花粉症?

 

えっ、もう?

 

でもまだ1月…

 

と思いながらオーバーカッセルを歩いていると、何と2分咲き程度の梅の木を見つけました。

 

やっぱり花粉症…

 

で、周りを見渡してみると、やはりクシャミが出て風邪を引いたと言う人を数人見かけます。

 

風邪? 花粉症?

 

まあ、本人の問題なので、どちらでも良いと言えばそれまでなのですが…

 

私の花粉症はドイツでは昔、6月のみだったのですが、かなりひどくて怖~いコルチゾンの注射に頼っていました。

 

それがキャベツで7~8割治ったのは良いのですが、花粉症が収まる6月末ないし7月初めは変わらず、始まるのが、5月、4月、3月と、どんどん早くなってきました。

 

そして今年は何と1月!

 

1月から6月だったら、何と一年の半分も!

 

なおさら、キャベツ様様です。

 

キャベツで花粉症がよくなるどころか、免疫が上がって風邪もひかなくなります。

 

キャベツで花粉症が治る詳しいことは、このブログ内検索で「キャベツ」でいくつも出てくるはずですが、もっと詳しくはこちら ➡︎ https://www.netdekenko.de/

 

川崎

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進化が示す、健康法則。靴も現代の悪?

歩く、走る際には靴に関して注意が必要です。

靴というものの存在が人間の本来の歩き方を変えてしまいつつあると思うからです。特に靴のかかとの存在です。

以前、アーチ状の足先と書きましたが、そこに大きな意味があります。

人類の長い歴史の中で、人間は靴無しで歩くことを数百万年間も続けてきました。

足の裏は平らのように思いがちですが、人間の足首から先は縦にも横にもアーチ状、ブリッジの形になっています。

少し大げさに言ってみれば吸盤のような形です。歩いている時、走っている時に、このアーチ状の足先もクッションの役割をしてくれています。

ドイツでは、もし子供が偏平足だとお医者さんから「家では裸足で歩かせて下さい」と言われます。

足首もクッションの役目をしてくれています。

但し、かかとから着地をしなければです。

靴が発達するようになって、靴底が足を守ってくれるようになりました。

特に最近のスポーツシューズのようにかかとの部分が柔らかくなると、それに頼ってしまいます。

そうなると着地の時に完璧にかかとから着地してしまうのです。

1960年のローマオリンピック、そして1964年の東京オリンピックのマラソンで2度続けて金メダルを取ったエチオピアのアベベ選手のことを聞いたことがあるでしょうか。

彼は、フルマラソンの42kmを何と素足で走れます。

素足でフルマラソンを走り、アスファルトの道でかかとから着地したらかなり足が痛くなるだろうと思ったので、ひょっとしてつま先着地ではと考えてみました。

早速調べてみると案の定その通り。インターネットで「アベベ」、「つま先着地」などのキーワードでいくつもの情報が出てきます。

アベベはやはりつま先着地でした。42.195kmの科学、マラソン「つま先着地」vs「かかと着地」 (角川oneテーマ21) などという本も出て、ランナーの世界ではここ数年そのことが静かな話題になっています。

つま先着地をすれば、足先のアーチと足首の関節が大きなクッションになります。

ところがかかとからの着地だと、それらのクッションが全く活かされません。

靴のメーカーの努力で、かかとの部分のクッションがとても良くなり、中には2mの高さからの落下でも卵が割れないなどというすぐれた材質もあるそうです。

でも「ちょっと待った!」です。

それって、交通機関が発達して足腰が弱くなったり、家電の発達で身体を動かさなくなってしまったのと似ていないでしょうか。

元々つま先着地、正確に言えばベタ足着地で歩いたり走っていた人間が、靴の登場で足の退化を始めてしまっているのではないでしょうか。

人間以外の四足動物は、かかとが退化して後部上方に行ってしまっています。

馬などは、強く速く走れるということで、指がたったのひとつ、ひづめになってしまいました。かつては4本あったそうです。

靴を履かないアフリカの原住民や、ペラペラのサンダルのような履物で暮らしていて長距離も走るメキシコのタラウマラ族などには、膝の故障などないそうです。

そういう意味では、現代人の膝の弱さは靴がもたらしている可能性が大きいと思います。あの天才的数学者、岡潔さんも「皮底の靴は頭に響く..」と言いました。

人間の歴史は猿と人間の間の先祖まで入れれば数百万年。

靴の歴史はわずか数千年。

しかもかかとの部分が厚くなってきたのはほんの近代。

わずか数百万分の百とかそういうレベルです。

さて、どちらの方が人間の身体により良いでしょうか。

瞬時の動きや短距離走、階段の昇り降り、縄跳びなど、どれも全てつま先着地です。

自転車こぎだってつま先をペダルに乗せた方がふくらはぎが働くので有利です。

どんなにいい靴でも、足先のアーチ状の足先 プラス足首という自然のクッションにはかなわないのです。

スポーツなどで膝を痛めなくても、多くの高齢の人たちが膝の故障で悩まされています。

革靴などでコツコツと音を立て、もろにかかと着地をしているのが、「骨、骨、骨、」という膝の悲鳴に聞こえてしょうがありません。

そういう膝への負担を自分で気が付かない日々のレベルでも、何十年も続けていれば、歳を取ってから膝が悪くなってもおかしくありません。

とても面白いことに、プールサイドなどのタイル張りなどで、地面が硬い場合はみなさん誰でもかかと着地はしていません。

自然にベタ足着地になっています。

つまり、足の裏全体での着地です。

ところが靴を履いてしまうとそれをしないのです。

かかとの柔らかい靴などに頼ってしまうから、かかと着地になってしまうわけです。

ちなみに日本の青年海外協力隊でアフリカに行き、ひょうんなことから現地のアフリカ人の足をさわらせてもらった知人がいるのですが、「きっと硬くなっているに違いない」という予想を裏切って、彼らの足の裏はたいへんに柔らかいそうです。

もしかかとの柔らかい普通の靴でかかと着地をやめようとする場合にはひとつ注意点があります。

つま先着地はふくらはぎの筋肉を余計に使うので、その分ふくらはぎが疲れます。

特にジョギングの場合にはそれが顕著です。だから最初はある程度慣らしが必要です。

退化を戻すにも苦労が要ります。でも靴の裏の薄い靴なら大丈夫です。

それはプールサイドを歩く人たちの足の裏の着地を観測すれば良く分かります。かかとが受けるショックが大きいので、自然にベタ足着地になるのです。

つまり、靴の裏は薄ければ薄いほど良いことになります。

世の中、医療や薬に限らずあらゆることに関してメーカーや産業の思惑に一般消費者である私たちは騙されっぱなしなので、もっと一人ひとりが自分で気をつけて生活しなければいけないと思います。

川崎

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家族、親戚、友人、知人、赤の他人の違い

趣味のひとつがボルダリングなので、たまにユーチューブの動画でプロの技を見たりします。

しょっぱなから横道にそれますが、ボルダリングは日本人の体型・体質に?合っているのか、世界ランキングのトップクラスに日本人が何人かいます。

特に女性が強いようで、野口さんという20代後半のチャンピオンがいますが、それ以上に期待されているのがアメリカに住みアメリカの国籍も持つ白石さんという16歳の女の子です。

次のオリンピックの種目にはボルダリングが加わりますが、金メダルはこの2人の対決となるのではないでしょうか?

さて先日見ていた動画の中で、ある初心者が靴をプレゼントされる場面があり、「知らない人が履いた靴より自分の靴の方がいい」と言って喜んでいました。

ボルダリングも、ボーリングと同じように自分の靴を持っていない人は現地でレンタルシューズを借りることができます。

確かに複数の人が何度も履いた靴を履くのは気が引けます。

でもそこに、それが誰であったかの違いは本当にあるでしょうか?

つまり、その靴を履いていたのが肉親であろうが、友人であろうが、知人であろうが、赤の他人であろうが同じだと思うのです。

心理的に言えば、単純接触効果と言われるものがあるくらいですから、知っていればいるほど親しみやすく、その逆は親しみ難いということになります。

でも本当にそうでしょうか?

靴の場合も、靴の場合に限らずとも…
例えば信号待ちでたまたま隣にいる赤の他人も、ただ単にご縁がなかっただけで他人であり、もしご縁があったら、ひょっとしたらとても相性が合う親友になっていたかも知れません。

人の存在とは、自分の両親(2人)、おじいちゃん、おばあちゃん(父親、母親両方で4人)、さらにその親たち(8人) というように辿っていくと、倍々計算なのであっという間に驚く数になってしまいます。

 

10代遡れば1.024人。15代遡れば3万2千人以上、20代では何と100万人もの親の親たち、つまりご先祖様たちが繋がっています。

徳川家は僅か15代で260年。つまり20代遡るなんてまだまだ最近のことです。49代(徳川家と同じ比率で計算して)850年遡ると、560兆人ものご先祖様たちです。

これだけ多くのご先祖様たちと繋がっていることを考えると、正に人類皆兄弟で赤の他人に距離を置く必要はないのではないかと思うほどです。

ちなみにアイルランドかどこかの小国だと、学校のクラスの友だちが、実はおじいちゃんの辺りのどこかで繋がっていて、遠い親戚であったなどということがよくあるそうです。

世の中には色々な人がいて、赤の他人だろうと何だろうとお構いなく話しかけたり接したりする人もいれば、赤の他人には基本的には話しかけない人もいます。

どちらかと言うと私は前者の方です。決して後者が悪いというわけではありませんが、知らない人に対する躊躇はそれ程必要ないと思うのです。

でも、もし後者のタイプの人が前者のタイプの人に話しかけられると、馴れ馴れしいと思われてしまうのかも知れません。

靴のことに話を戻せば、足臭や水虫などは、友人、知人、他人に関係なく散らばっています。

水虫持ちの足臭な親友が何度も履いた靴を履くのと、水虫のない冷え症などで足が臭くならない赤の他人が何度も履いた靴を履くのとどちらがいいでしょうか?

単純接触効果の存在などを忘れて、他人にも最初から友人知人のように親しく接触すれば、世の中もう少し丸くなるような気がしてなりません…

川崎

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カテゴリー: ドイツの暮らし
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