鎖国中にも日本に来ていた外国人

安土桃山から明治時代にかけて、日本に来た外国人が残した書き物をずっと読んでいます。

頑張れ日本ドットコム」を編集中だからです。

そうすると、なぜ日本が鎖国をしたのかがよく分かります。

そんなことは日本の教科書には書いてありません。

アメリカにとって都合が悪いからです。

日本が鎖国をした理由は、日本が西洋人の植民地にならないためでした。

ポルトガル人が、日本人キリシタンと組んでポルトガルから軍を派遣し、当時の政府である幕府をひっくり返す企みの記録が残っています。

恐ろしい企みです。

当時、西洋人の植民地にならないで済んだ有色人種の国は世界でたったの二ヶ国だけでした。

日本とタイだけです。その理由はこちら ➡︎ なぜ日本とタイだけが植民地にならずに済んだのか?

でもなぜそんな大事なことが教科書に書いてないのでしょうか?

GHQのしわざでしょう。

GHQは日本を占領している間に教科書を真っ黒に塗りつぶし、日教組、朝日・毎日新聞などのインテリ層をみんな左翼に洗脳してしまいました。

そういうひとたちが、重度だと反日、軽度で自虐史観に染まってしまっています。

さて、鎖国は江戸時代に200年以上も続きました。

外国人が日本に入国できないばかりか、海外にいた日本人も日本に入れませんでした。

でも例外がありました。

オランダと中国です。

西洋ではオランダだけ。

でもそれは九州の小さな出島だけでした。

出島は周囲が僅か数キロの小さな人工島で、九州とは橋で結ばれていて、オランダ人は出島から勝手に出入りできずに、まるで監禁されていたようなものでした。

そこにはオランダの商館があり、その商館長付けの医者がどういうわけか二代続けてドイツ人でした。

ドイツはその頃まだ国がなかったので、厳密に言うとドイツ人ではありませんが、2人ともオランダ人だと偽って滞在していました。

1〜4年に一度、江戸に行って将軍に謁見できたそうです。

その2人が当時残した言葉をご紹介致します。

エンゲルベルト・ケンペルドイツ医師、博物学者、初代オランダ商館付け医師(1651~1716)

「よく団結し、親和的で、神々は当然崇敬すべく、法律は当然遵守すべく、主君には当然服従すべく、隣人は当然愛し尊敬すべく教え込まれていて、慇懃、懇篤、高潔である。

美術工芸の面では、他の全ての国民を凌駕している」

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトドイツ医師・博物学者、2目代オランダ商館付け医師(1796~1866)1859年

100万人都市として世界最多人口の江戸にて...

「江戸では、人が足繁く訪れる場所、寺の境内などの壁や板垣のそばに、およそ2フィートの四角の箱がよく置かれている。

そこではさまざまな小間物の必需品、楊枝などがしっかりと値をつけて販売されているが、売り手はいない。

客は何でも好きなだけ手に取り、お金を足元にある小さな引き出しの中に入れる。

世界で最も人口の多い都市のひとつがこうである。

この商売は貧しい家族、貧しい人々を支えるために、全ての町人たちとの信頼関係により成り立っている」

ドイツ人から見た日本と日本人

このブログは6月にAmeba に引越しとなります。引越し先はこちら ➡︎ https://ameblo.jp/netdeduessel/

投稿者: netdeduessel

日本人のための、ドイツの生活応援サイト

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。