幕府は結局、ペリーが無理強いする開国(通商開始)を受け入れて、祝賀晩餐会を開いたそうです。
海の幸、山の幸の素晴らしい当時の和食が、現在の金額だと、ひとり約50万円ほども用意されたそうです。
かける数百人なので、全部でうん億円!
ですがペリーは、その量から言って、ケチっていたのではないかと思ったそうです。
今日では、ミシュランにも、ユネスコの世界遺産にも、世界的に認められた和食ですが、当時はまだ理解が得られなかったようです。
食わず嫌いというものでしょうか。
確かに寿司の素晴らしさが理解されるのには時間がかかりました。
ペリーにとっては、質より量であったわけです。
質より量というよりは、ただ単に、質を理解できなかったわけです。
そのお礼(仕返し?)に今度は、幕府側がペリーの船で行われた晩餐会に招かれたのですが、嫌というほどの肉料理が出されたそうです。
その肉料理の山を見た幕府の人たちはどう思ったのでしょうか…
やっぱり南蛮人(= 南から来た野蛮人)と思ったのでしょうか…
その頃はどうだったか分かりませんが、それ以前のザビエルの頃、西洋人が初めて日本に来た16世紀の中頃、日本人は箸を使って食事をしていました。
野蛮人はまだ手づかみだったそうです。
そう言えば、イギリスのウェールズの方のお城では、当時の様子を真似して夕食を食べられる所があります。
「外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気が付き始める。すなわち彼ら(外国人) は、日本人に全てを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらにして持っているらしいことである」エドワード・シルベスター・モース 、アメリカ動物学者(1838~1925)大森貝塚・縄文土器を発見・発掘
今のアメリカ人のデブさ加減は、その頃の名残でしょうか。
50万って凄すぎる。