今、ウクライナでおこなわれていることをひどいと思わない人はいないと思います。
ウクライナ東部の人たちは、ロシアに移動させられているそうです。
同じようなことを78年前に日本がされていたのは知っていますか?
ロシアは、第二次世界大戦終戦の僅か6日前に、弱りきった日本に対して戦争を開始して、
終戦後も攻撃を続けました。
是非そういう歴史を知って、平和ボケ、お花畑思考から覚醒してください。
北方領土が戻るわけがないですし、親露の鈴木宗男さんや林外務大臣がいかにおかしいかを知って下さい。
80年前以前にも、日清戦争も日露戦争も、元々は南に領土を拡大するロシアと日本が戦った戦争です。
動画の最後の方に出てきますが、日露戦争で捕虜になった(ウクライナ人を含めた)ロシア兵に対して、日本は人道的に対応しました。
次は、元ロシア大使館一等書記官文化担当官、セルゲイ・ハルラモフさんのコメントです。
「かって日本国内を旅行した時に、偶然に松山の温泉地にある墓地に立ち寄ったことがあります。
驚いたことに、そこには日露戦争などで亡くなった100人ほどのロシア兵たちのお墓がありました。
松山には最初の捕虜収容所が設けられたそうで、次々と送られてきた外国人捕虜たちは公会堂や寺院に収容されたのですが、待遇は非常に良く、外出、温泉入浴、海水浴なども許され、一時は4千人を超えるロシア人がいたらしいのです。
そして病気などのために寂しく異郷で亡くなったロシア人たちはここに埋葬されて、毎年慰霊祭もあると聞きました。
近づいてよく見てみると、何と、それぞれのお墓にみかんや杯などがお供えしてあるのです。
近くに住む日本人の女性たちが今でも生花やお水をあげて、ずっとお墓の世話をしているのです。
私はそのことを知り、日本人の心の優しさに涙が出るくらい感動してしまいました」