ゼレンスキー大統領の、アメリカと日本での演説の大きな違い

ゼレンスキー大統領が、オンラインで日本の国会(議員を前にして)でも演説をしました。

既にアメリカやドイツでは、熱い内容の演説をした後です。

ドイツでは、ドイツの過去を批判気味にウクライナを助けるべく、ドイツ人の責任感に訴えました。

アメリカでは、パールハーバーや911を持ち出して、アメリカ議員の心を揺さぶってスタンディングオベーションで終わりました。

パールハーバーの話しを持ち出すという、日本にとってはかなり微妙な演説でした。

では日本では、一体何を言うのか?

第二次世界大戦のアメリカの日本各都市への空襲?

日本兵のシベリア抑留生活と奴隷的強制労働?

北方領土のこと?

広島長崎の原爆?

いざ演説が終わってみると、拍子抜けの内容でした。

アメリカと同じようにスタンディングオベーションで終わりましたが、それはお義理、お愛想であったとしか思えません。

ついついスタンディングオベーションをしてしまうような熱いお話しはなかったからです。

ロシアに対する経済制裁のお礼と、さらなる追加、そして資金援助のお願いだけでした。

どうしてこうも違うのでしょうか?

その違いは、相手国に何ができるかの期待度からきているのではないでしょうか?

以前、NATOにも加わっていないコソボを助けたアメリカには、軍事介入を期待してのことだったと思います。

その一方の日本では、軍事介入などできるわけがないということで、お金だけは出してね、ということです。

期待されるのが良いのか否か…

投稿者: netdeduessel

日本人のための、ドイツの生活応援サイト

ゼレンスキー大統領の、アメリカと日本での演説の大きな違い」への1件のフィードバック

  1. 期待されるのが良いか否か? 質問形で締めくくりましたが、その答えは明白です。期待される、頼られる方が良いに決まっています。

    マズローの五段階要求にまで及んで複雑に考える必要はありません。

    ただ単に人間として生きていて、いえ、生き物として生きていて、他から頼られるのが良いか、そうでないかの違いです。

    もし他から頼られない場合、そこにその人の存在価値は一体あるのでしょうか?

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