日本では物が溢れています。
日本には何でもあります。
日本を訪れる外国人は、あまりに物が多いので、お土産選びに喜び困っています。
でも、こんな便利な物、良い物が日本にあって西洋にはない。
西洋に持っていけば雨れるのではないかと思うと大間違いで売れません。
幕末までは、それが真逆だったのをご存知でしょうか?
西洋人にとってみると、当時の日本の家には例えば家具らしいものが何もなかったのです。
あるのは床の畳だけ。
でも、それがシンプルでとても良いという評価を受けていました。
幕末に、中国と日本を訪問したドイツの考古学者が残した言葉です。
ござ(= 畳)は、長椅子やソファ、テーブル、ベッド、マットレス…
おそらく、日本人がその存在も使用方法も知らないものの代わりに使われている。実際日本には家具に類が一切ない。
家族全員が、その周りに正座する。めいめい碗を手に取り、2本の箸でご飯と魚をその小さな椀に盛り付けて、器用に箸を使って、我々の銀のフォークやナイフ、スプーンではとても真似のできないほど素早く、しかも優雅に食べる。
食事が終わると主婦が椀と箸を片付け、洗って、引き戸の後ろの棚に戻す。こうして食事の名残りは、瞬く間に消えてしまう。
それというのも、元に戻すべき椅子も、取り除くべきテーブルクロスも、移動すべきテーブルも、たたむべきナプキンも、洗うべきコップもナイフもスプーンも、小皿も大皿も、ソース入れもコーヒー茶碗もポットも、どれひとつとして日本には存在しないという単純な理由による。
ヨーロッパでは、食器戸棚、婦人用衣装箪笥や男性用の洋服箪笥、ヘッドボードにテーブル、椅子、それにもろもろの最小限必要とされる家具類の豪華さを隣人たちと競い合う。
だから、多少とも広い住宅、いく人もの召使い、調度品を揃えるための資産が必要だし、年間の莫大な出費がどうしても必要になる。ヨーロッパの結婚難は、家具調度を競おうとするためであり、そのための出費がかさむからである。
ところが日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明が作り出した物であることに気が付いた。
寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それら抜きでも十分やっていけるのだと分かったのである。
もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござ(畳)を用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。
日本では文明が遅れていたのでしょうか?
こう言っていた人もいました。
「今私がいとしさを覚え始めている国よ、この進歩は本当に進歩なのか? この文明は本当にあなたのための文明なのか? この国の人々の素朴な風習とともに、その飾り付けのなさを私は賛美する。
この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子どもたちの愉しい笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見出すことができなかった私には、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならないのである」
ヘンドリック・コンラット・ヨアンネス・ヒュースケン江戸時代後期に伊豆国下田の玉泉寺に設置された駐日アメリカ総領事館の通弁官