人の命が犠牲になる戦争などをせずに、その代わりにスポーツで戦って勝敗を決めれば良いではないか!
という意見があります。
もし私に羽根があれば、鳥のように自由に空を飛べるのに…
そういったレベルの突拍子もない考え方のように思えます。
ですがそうでもありません。
それはオリンピックの起源です。
オリンピックは紀元前に古代ギリシャで始まりました。
戦争で疲れ果てていた時に出たアイデアで、戦争を休止してスポーツの祭典をしようということになって始まったそうです。
それによって自然と戦争がおさまったそうです。
また、オリンピックが開催される時期になると、どこかで戦争が起きていても、一時休戦していたそうです。
但し、しばらくすると再び戦争がひどくなったせいで、オリンピックも中止になってしまったそうです。
平和の祭典であるそのオリンピックも、つい先日の北京オリンピックで地に落ちてしまいました。
ウイグル、チベット、モンゴルで人権蹂躙を行なっている中国で、そのオリンピックが開催されたからです。
人権蹂躙と平和の祭典は、どんな無理をしても結びつきません。
不思議なほどに親中なIOCのバッハさんは、ハニートラップ、マネートラップに浸かってしまっているとしか思えません。
今のロシアのウクライナ攻撃が、プーチンとゼレンスキー大統領の1対1のボクシングの試合に置き換えられたらどんなに良いことでしょうか…
北京オリンピックの時も、習近平氏はプーチン氏を
呼んで、何やらヒソヒソ話してましたしね。北京オリンピック自体が
反対の私としては、もう平和も戦争もごっちゃ混ぜという
感じで、オリンピック精神そのものが
もはや失われているとしか思えないのです。
間違った人間が権力を握れるようになってしまうシステムを変えないとダメだと思います。