アフガニスタンが、タリバンに制圧されています。
アフガニスタンのガニ大統領は、多額の現金を持ってUAEに逃亡したそうです。
一国の大統領として、あるまじき行為です。
本来ならば、最後まで自国に残り、自国のために尽くすのが、大統領の責務ではないでしょうか?
それが、いの一番(?)に逃げ出してしまうとは…😅
逃げると同時に懲戒免職されるべきではないでしょうか?
とても対照的な日本の天皇の存在をご存知でしょうか?
まずは昭和天皇。
あの、第二次世界大戦という、日本の歴史の中でも過去にない大事件を経験されました。
あの時に、戦争責任を問われたりした天皇ですが、次の2つの事実をご存知でしょうか?
まずは、敗戦を決めた御前会議。
御前会議とは、日本の政治のトップ数人に、天皇を含めて国の行き先を決める重要な会議です。
1945年夏、第二次世界大戦の末期、日本はもうアメリカにかなわないことが明らかでした。
そこで敗戦を受け入れるかどうかの御前会議。
鈴木貫太郎首相を始めとした、日本軍のトップも含めて6人+天皇の御前会議が開かれたそうです。
そこで敗戦を宣告するか、国内徹底抗戦で粘るかで、天皇を除いて3対3に意見が別れたそうです。
最後の判断が、天皇に委ねられたそうです。
天皇が選んだのは、徹底抗戦などをしない敗戦の道でした。
ですが、それは何を意味していたでしょうか?
それは、天皇の戦争責任、つまり、天皇の処刑の可能性があったそうです。
それでも昭和天皇は、国内徹底抗戦が行われれば、日本国民が絶滅してしまう可能性があり、それだけは避けなければならないと主張した決断だったそうです。
そして終戦となり、日本は6年以上もアメリカ軍、GHQの占領下に置かれました。
そして、あのマッカーサーと天皇の会見が行われました。
その席で天皇は、「戦争責任は全て自分1人にある。
自分を煮ようが焼こうが構わないが、日本国民には手を出さないで欲しい」
というようなことを言ったそうです。
その一言に、マッカーサーは感動してしまったそうです。
もし日本の天皇が、アフガニスタンの大統領であれば、最後まで自国に残って、タリバン勢力に対抗していたはずです。
それは必ずしも戦うと言う意味だけではなく、例えばアメリカなどの他国に助けを求めるなどの、最後の最後までの努力を怠らないことです。
フランス革命というのも聞いたことがあると思います。
虐げられていた国民が立ち上がり、国王を斬首した革命です。
日本以外の国々では、国王や国家元首が国民を虐げて、自分たちだけが楽、贅沢をしてきたことが歴史で分かります。
日本の天皇は違いました。
質素であり、常に国民の平和、安全、幸せを2000年もの長い間に願い続けてきました。
美談は昭和天皇だけではありません。
勉強不足でどの天皇かは忘れてしまいましたが、かなり昔の天皇のお話しです。
皇居から国民の暮らしを見渡すと、かまどから煙が立っているのが見当たらなかったそうです。
飢饉などによって、国民が貧しくて食事も作れずにいることが分かったそうです。
そこでその時の天皇は、極端に節約を行ったそうです。
その後、各家庭のかまどから煙が立ち始め、国民がきちんと食事が出来るようになったことを確かめてから皇居の節約も解いたそうです。
私は、天皇崇拝主義者でも、国粋主義者でもありません。
どちらかというと、むしろリベラルな方です。
実際にも、僅か数年前までは、天皇の存在自体がもったいないと思っていたほどです。
その意味は、天皇家の存在を税金で賄うくらいなら、天皇をなくしてその分の費用を他に回せたら良いのではないかと思っていたほどです。
ですが、天皇に関することを色々と知るにつれて、その存在の意義の大きさに驚くばかりです。
現在の天皇は126代目。
これだけの長い間に、ひとつの国家が続いた国は、世界広しといえども他にはありません。
天皇は、日本のバックボーンに間違いないようです。
天皇は政治的には中立。災害があった時は、駆けつけてもらうことができます。
体育館などの被災者と話をしてもらうことには大賛成です。
諸説によると1時間と決められているようですが、それで終わることは滅多になかったそうです。平成天皇の場合は。靴下も真っ白くなるほど被災者と話をするとか。
令和はどうかな。少なくても姪の結婚問題には大揺れ。持参金額が億を超えるから。
それに相手の男性が大問題でアメリカへ逃げてしまった。何だかなあ。
芸能人と違わないスキャンダルを起こすのはちょっとご先祖さまに
見習ってほしい気持ちもあります。