フランシスコ・ザビエル(1506‐1552) カトリック教会司祭、宣教師。
「従順で礼儀正しく、才気があり、親切で人をだますこともなく、美徳と正直な話をすることについては近年発見された他のあらゆる国に優るが、たいそう自分の評判に固執し、最も尊ぶのは名誉である」
「好奇心が強く、しつこく質問し、知識欲が旺盛で、質問はきりがありません」
「とても気立てがよくて、驚くほど理性に従います」
「日本人は、地球が丸いことや太陽の軌道を知りませんでした。でもその大部分が読み書きできます」
「日本人はこれまでに発見された他のどこの国民よりも、徳行と廉直の点で優れている。その性質は温和で、瞞着を排し名誉を切望し、名誉こそ最高のものであるとしている。
貧困は彼らの間ではふつうのことで、苦労して貧困に耐えるけれども、それは決して不名誉のこととはしない」1549年11月5日の書簡より
出典:「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」 黄文雄、徳間書店
F・A・ルドルフ、ドイツ人ビジネスマン、1855年から下田に滞在
「日本では所有権を犯す犯罪は滅多に起こらない。
その理由は、単に所有権を規定している厳しい法にばかりあるのではなく、国民の誇り高い性格の中に主として存在している。
こうした性格により、日本人は嘘をついたり、物を盗んだり強奪することに、嫌悪感を持っている。
この点において日本人は、中国人と著しく異なっている。」
出典:「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄(台湾の歴史家)、徳間書店
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
ドイツ人医師・博物学者(1796~1866)
1859年、100万人都市として世界最多人口の江戸にて...
「江戸では、人が足繁く訪れる場所、寺の境内などの壁や板垣のそばに、およそ2フィートの四角の箱がよく置かれている。
そこではさまざまな小間物の必需品、楊枝などがしっかりと値をつけて販売されているが、売り手はいない。
客は何でも好きなだけ手に取り、お金を足元にある小さな引き出しの中に入れる。
世界で最も人口の多い都市のひとつがこうである。
この商売は貧しい家族、貧しい人々を支えるために、全ての町人たちとの信頼関係により成り立っている」
出典:「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄、徳間書店
エドウィン・アーノルド 詩人・インドのデカン大学学長(1889年に日本を訪問して講演)
「日本には、礼節にって生活を楽しいものにするという、普遍的な社会契約が存在する」
「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。
…その景色は妖精のように優美で、その美術は微妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙虚ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。
これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」
出典:「日本人の誇り」藤原正彦、文芸春秋
エドワード・シルベスター・モース アメリカ動物学者(1838~1925)大森貝塚・縄文土器を発見・発掘
「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい。
私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。鍵をかけぬ部屋の机の上に私は小銭を置いたままにする」
「日本人の子どもや召使は... 触ってはならぬ物には決して手を触れぬ。こそ泥は皆無ではないものの ”盗まない”」
「正直、節倹、丁重、清潔、その他わが国において『キリスト教徒的』とも呼ばれるべき道徳の全てに関しては、一冊の本を書くこともできるくらいである」
「外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気が付き始める。
すなわち彼ら(外国人) は、日本人に全てを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらにして持っているらしいことである。
衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然および全ての自然物に対する愛、あっさりとして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり... これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」
「大学を出てきた時、私は人力車が4人いる所に歩み寄った。
私は、米国の辻馬車屋がするように、彼らもまた揃って私の方に駆けつけるのかなと想っていたが、事実はそれに反し、1人がしゃがんで長さの違う麦わらを4本拾い、そしてくじを引くのであった。
運のいい1人が私を乗せ、他の3人はいやな感情を示さなかった」
「何度となく人力車に乗っている間に、私は車夫が如何に注意深く道路にいる猫や犬や鶏を避けるかに気が付いた」
隅田川の花火大会でごったがえす屋形船の船頭たちが、長い竿で船を避け合ったり、助け合ったりし、怒声や罵声もなくただただ「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉が飛び交うだけで、和気あいあいとして優雅で温厚に振舞う船頭たちの姿を描き、「わがアメリカならはいへんだ」と、その落差に慨嘆している。
「米国でよくあったような宗教的の偏見に衝突することなしに、ダーウィンの理論を説明するのは、誠に愉快だった」
「維新から、まだわずかな年数しかたっていないのに、(中略) つい先頃まで輸入していた品物を、製造しつつある進歩に驚いた」
出典:「日本の家庭及びその周辺」、「日本その日その日」 創元社、平凡社。「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」 黄文雄、徳間書店
日本賛辞の至言33選、ごま書房
そういえば、東日本大地震での日本人の行動は、世界から称賛されたことは記憶に新しいですが、それは昔から続いていることです。
1856年、下田を台風が襲い1/3が破壊され、台風が去ったあとの日本人の態度を見て...:
「日本人の態度には驚いた。泣き声ひとつ聞こえなかった。
絶望なんてとんでもない!彼らの顔には悲しみの影さえもなかった。
それどころか、台風なんてまったく関心がないという様子で、嵐のもたらした損害を修復するのに忙しく働いていた」
出典: 岩波文庫「ヒュースケン日本日記」青木枝朗(訳)
カール・ツンベルク スウェーデン医学者、植物学者(1743~1828)
「正直と忠実は国中に見られる。そしてこの国ほど盗みの少ない国はほとんどないであろう」
出典: 「江戸参府随行記」
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄、徳間書店
1866年11月26日の横浜の大火を見て...
「ここへ来てみると(噂は)まったく根拠のないことが判明した。
日本人自身、西洋人よりはるかにひどい火災の被害をうけていて、それにもかかわらず、あっぱれな勇気と賞賛すべき犠牲心と沈着さを発揮して、西洋人の貴重品を無事に運びだす手伝いをしたのだった」
「日本人はいつに変わらぬ陽気さ呑気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった」
「日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である。
ふたたび水の上に浮かび上がろうと必死の努力をするそのやり方は無分別にことにあたる習癖をまざまざと証明したようなもので、日本人を宿命論者と呼んでさしつかえないだろう」
出典:「江戸幕末滞在記」 自著、長島要一訳 講談社学術文庫
1908年6月、ブラジルに初めて移住した日本人たちは、清潔で規律正しいことや従順な態度が高く評価され、「実に好ましき人種」「将来サンパウロ州の産業は日本人に負うところ大であろう」とブラジルの新聞『コレイオ・パウリスターノ』で絶賛された。
2008年は、日本人がブラジルへ移住して100周年目にあたる。
日本とブラジルは、これを記念し「日本ブラジル交流年(日伯交流年)」として、様々な交流イベントを開催している。
1908(明治41)年4月、ブラジルへ最初の日本人移住者781人を乗せた「笠戸丸」が神戸を出港した。
ブラジル移住の背景には、日露戦争後の不況や農村人口増加の問題があり、ブラジル側も約20年前に奴隷制度を廃止したことで労働不足に悩んでいるという事情があった。
6月18日、笠戸丸はブラジルのサントス港に到着。上陸した日本人たちは、サンパウロの移民収容所へ向かった。
『コレイオ・パウリスターノ』紙のソブラード記者は、ブラジルにやってきた日本人の様子を記事に書き、6月25日の新聞に掲載された。
ソブラード記者は、日本人の清潔さに感嘆し、次のように記した。
「移民は18日午後上陸し、同日サンパウロに到着したが、彼らを輸送した笠戸丸の船室およびその他諸般の設備を見ると、みなよく清潔を保っていた。
それだから、日本船の三等船室は、太平洋を往復する欧州航路の一等船室よりも清潔だと評する者さえ、サントスで見受けられた」「移民は移民収容所に入るにあたり、秩序整然として列車から降り、少しも混雑の模様なく、またその車中を検査したら、ツバを吐いてある跡は一つもなく、果物の残りクズなどの散乱したものも皆無。
観察者をして不快感を起こさせるようなことは、一つもなかった」「移民たちは食堂で交替して食事を終え、約1時間後に各自に定められた寝室を見るために食堂を出たが、驚くことには、彼らの去った後にはタバコの吸いがらもツバを吐いた跡もなかった。
もしも、これが他国の移民ならば、その居所はタバコの吸いがらやツバでもって不潔化することだっただろう」
さらに、日本人が規律正しく行動していることを、ソブラード記者はこう絶賛した。
「税関吏の語るところによると、このような多数の移民が秩序よく、その手荷物の検査を受け、一人として隠す者がなかったことは、いまだかつて見なかったところである。
これら日本移民の清潔なことは既に述べた通りであるが、移民でこのように清潔で規律正しい者は未曾有のことである。
さらに従順なことは羊群のごとく、やがてサンパウロ州の富源は、彼らによって遺憾なく開発され、将来サンパウロ州の産業は日本人に負うところ大であろう」
日本人の態度に好感を抱いたソブラード記者は、「彼らは熱心にわが国の言葉を学ぼうとしており、また食堂では一粒の飯粒、一滴の汁をも床の上に落としたものも認めることができないほど用意周到で、食堂の床は食後でも清潔を保ち、食前と少しも変わらない。
それに紙切れやマッチのカラが散乱していたとすれば、それは移民収容所の給仕人たちの所為であって、日本移民がしたのではない。
実に彼らは好ましき人種だといえよう」と、絶賛した。
ブラジル・サンパウロ州では、日本人が笠戸丸で上陸した6月18日を「日系人移民の日」として、日本人のブラジルにおける貢献を讃えている。
また、日本でもこの日を「海外移住の日」と定め、日本から海外へ移住した人々の歴史や、国際社会への貢献を振り返り、移住先国との友好関係を促進するための記念日としている。
『蒼氓の92年 ブラジル移民の記録』内山勝男著、東京新聞出版局
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