譲り合いは、昔と比べて酷くなったという日本でも、世界の物差しで測ってみれば、東日本大震災などが示すようにまだまだ健在だと思います。
過去数十年の間で、日本人も自己中心的になってきているそうですが、それでも世界にみればまだまだ譲り合いが多い日本です。
個人主義、利己主義、自己主張の大陸ではそれが珍しいものとなります。
それを表す最も簡単な例の一つとして、パリの凱旋門の回りのロータリーへの出入りをあげられます。
一度でも車でそこを通った人なら分かりますが、よほど気合いを入れて自己主張しないとロータリーに入れません。
そして一度入った後は同じように気合いを入れないとロータリーから出れません。
どういうことかと言うと、別の例えで言えば、バスや電車の入り口から並ばずに乗ろうとして、大勢の乗客が群がっている状態です。
きちんと並んで待っていれば別に問題はありませんが、並ばずに群がって待っている状態だと、ずうずうしく自分の身体を押し入れないと、いつまでたってもバス・電車に乗れません。
パリの凱旋門のロータリーは、平日の日中はかなり混雑していて、ロータリーにつながるいくつもの周りの道との接続部分が常にそのような状態になっています。
そしてあるドイツの交通事情。
信号の無い田舎の交差点や駐車場から道に出る時に歩道を横切る時。
車と自転車に乗った小学生の出会い頭のよく見かけるシーンです。
車と小学生がしばらく「お先にどうぞ!」と譲り合いをしています。
車(大人)にしてみると、相手はまだ子供でもあり、それが特に歩道を横切るシーンであったり、自分が左側であると(ドイツは右側優先*)、道を譲ります。
* 信号や特別な標識がない場合の十字路での出会い頭では右側にいる車に優先権があります。日本にはない決まりなので、日本人ドライバーはそれを知らないとドイツの運転は危険です。他にも詳しくはこちら。
ところが子どもの方も同じように車に道を譲って動きません。
両者が譲り合ってしばらくの時が流れますが、まず間違いなく子どもが譲り勝って車が先に行きます。
ではなぜ優先権のある子どもが譲り勝つのでしょうか?
それは子どもが学校でそう習い、子どものいない大人がそれを知らないからです。
ドイツ語で、Kalte Schulter zeigen(直訳: 冷たい肩を示す)と言うのですが、学校で子どもが習います。
どういうことかというと、相手(車)が「お先にどうぞ!」と言っても、子どもはその誘いに乗らずに、「フン!」と肩透かしを喰らわせます。
そうすることによって、子どもを交通事故から守るのですが、その事実を子どものいない大人は知りません。
中国でも、譲ってたら、バスに乗れませんでした。世界標準は強い自己主張ですね。日本は自己主張する精神力がまだ弱いです。これは長所であり、短所ですね。
大陸と島国の違いだと思います。
但し日本は特に異例で、例えばイギリスは大陸型です。
確かにそうですね。中国は遠慮していたら、損をします。先を争っています。そう言えば、中国人は自分が間違っていても謝らないということも聞いたことがあります。これも大陸的ですね。イギリスのことを考えたら、やはり民族の移動が盛んだということが言えるでしょうね。
はい、正にドイツ人もその通りです。