イタリアのブーツのつま先の先には、シシリア島があります。
そのシシリア等から少し南、地中海のほぼ真ん中にある、マルタ共和国。
マルタ島、ゴゾ島、そしてその中央にある、住民数が僅か3人のコミノ島等から成り、人口僅か40万人。
つまり、デュッセルドルフの約2/3。
マルタ島の大きさが、東京23区の約半分。
ゴゾ島はその約 1/3。
コミノ島にいたっては、東京ドーム7個分。
まず興味深いのはその歴史です。
シシリー島の農民が渡来したという、紀元前5000年頃まで遡れるそうです!
ひとつの王家(皇室)で126代、約2千年も続く日本の歴史は勿論凄いのですが、神話も含めたその日本の歴史の約3倍!
第二次世界大戦後の6年間だけ占領下に置かれただけで、約2千年間もの間、侵略されたり植民地にされたことがないだけに安全(ボケ気味)な日本。
それに対して、7千年もの間、ずっと色々な国に侵略されたり、支配され続けてきたマルタ共和国…
紀元前、シシリアから最初にやって来た温厚な農民は、その後に他からやって来た好戦的な民族に簡単にやられてしまったそうです。
フェニキア人やギリシャ人の支配後、紀元1世紀に聖パウロが漂着してキリスト教がマルタにもたらされました。
その後、5世紀までビザンチン領、アグラビッド領、ローマ帝国領。
東ローマ帝国、ノルマン人(スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人、バイキング)、アラブ人、サラセン人(イスラム教徒)。
そして、スエビ王国、アンジュー王国、アラゴン王国(1400年代に、スペインのカタルーニャ地方とイタリアの南半分を支配)、マルタ騎士団(*1)、フランス(ナポレオン)、最後はイギリス…
色々な国家に侵略されたり支配を受け続けました。
よって、マルタの言語、マルティーズも、色々な国の影響を受けていて複雑です。
「おはよう」、「こんにちわ」が、フランス語のボンジュールならぬ、ボンジュ。
「ありがとう」が、イタリア語のグラッツィェならぬ、グラッツィ。
Well come = マルハバ(marhaba)アラビア語。
Let‘s go = エモロー
約6割がアラビア語で、残りがイタリア語、フランス語、英語のミックスだそうです。
会話を聞いていると、アラビア語に聞こえます。
さらに面白いのは、歴史上で最後の支配者であるイギリス人が支配中に、マルタの人々の強い願いで、1979年に180年間駐屯していた英国軍がマルタを離れたことです。
ひょっとすると、日本の北方四島、竹島、尖閣諸島も、もっと多くの日本人が本気で強く願えば(*2)戻ってくるでしょうか…
国民の、政治への関心の高さも、極めて興味深いです。
*2 国民選挙の時、投票率は何と、90%以上だそうです。
それだけ多くの国民が真剣に願えば…
隣の島、GOZO島もとても興味深いのですが、まずマルタ島とゴゾ島では島の様子、島民の特徴が全く違うそうです。
海上を僅か数kmしか離れていないのに…
マルタ島も治安が良いそうですが、特にゴゾ島では、夜の散歩も全く安全だそうで、地元の住民が、強盗がいないことや窃盗もほとんど存在しないことを誇りにしているそうです。
代々受け継がれ続けている、マルタ(ホスピタル)騎士団(*1)のホスピタリティーによるものと思われます。
そんな安全な国が、世界の中には日本以外にもあった!
あのストーンヘンジよりさらに数百年も古い、ハガール・キム神殿や、数多くの古代建造物や世界遺産もあって、ドイツに住んでいる間に一度は旅行してみたい地です。
出典:
ゴゾ島でのジープのサファリツアーのドライバー(*3)、
現地で販売されている、マルタ諸島ガイドブック、
http://www.japan-malta.com/his.html、
https://www.visitmalta.com/jp/about-gozo。
* 1 マルタ騎士団協会が創設されて以降、世界各地への救急活動、医療品の提供、などの活動を続けており「地中海の看護婦」といわれたホスピタリティは受け継がれているようです。騎士団は多国籍軍で、その言語はオーヴェルニュ語、プロヴァンス語、フランス語、アラゴン語、カスティーリャ語、英語、ドイツ語、イタリア語の多岐にわたったそうです。
*3 マルタ島の各ホテルからピックアップバスで ➡︎ 港、船でゴゾ島まで行き、丸1日かけて、ゴゾ島の見所を数ヶ所案内してくれて、1日大人僅か€70で昼食まで付いている、お勧めのジープツアーです。マルタ島の歴史に
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