情報というのは、出せば出すほどいい効果が現れると思います。
情報があふれている現在は、情報の過密状態なので、その情報をキャッチしてもらえるかどうかは別としても、情報がなければ思いは伝わりません。
種をまかなければ芽は決して出ません。
種をまいたからといって芽が出るとは限りませんが、種をまかなければ芽は絶対に出ないのと同じです。
困っている時や苦しい時、人は普通その情報を隠す傾向にあります。
恥ずかしいと思うからでしょうが、実際には自分が恥ずかしいと思うほど人は気にしていないものですし、その情報が伝わると助けを出してもらえる可能性が出てきます。
でもその情報が伝わらなければ、助けが出てくる可能性はゼロです。
反対にいいことの情報も、自慢にならないように気をつけて、単なる情報として出せば、そこから良い相乗効果が出てくる可能性も生まれます。
最近、情報という漢字は、青い心(つまり新鮮な心)が幸せを返すと書くように思えてきました。
新鮮な心で情報を取り扱えば、幸せが返ってくるのではないでしょうか。
日本の漢字は、日本で独自にできたものも多いようですが、オリジナルは3500年前くらいから中国で作られ始めたそうです。
それは天下の3大聖人たちさえもが誕生する以前のお話になります。
中国はすごいものを作ってくれました。
夢が叶う時の叶うは、十回口にしていると叶う、と書くそうですし、信じ(させ)る者が儲かり、忙しいという字は心を亡くすと書くそうです。
ここ最近スマホやアイフォーンでメールのやり取りや、インターネットのアクセスも自由自在ですが、そういう機器の影響で生活スタイルというか、生活の姿勢が大きく変わってきてしまったような気がします。
以前は人前で携帯電話を受信するのは、目の前にいる相手に対して失礼でしたが、今では気楽に受けてしまう傾向にあります。
数人で集まっている時も、その中の誰か、ひどい時は数人が、メールなどのチェックを行っている姿を頻繁に見かけます。つまり皆が納得済みでやっていることのようです。
世界中のビジネスマン・ビジネスウーマンたちも、アイフォーンやスマホを使って、ミーティングの最中でも入ってくる情報をチェックして返事まで書いている人もいるようです。
でもそれは本当に正解でしょうか。過去と将来のことを考えても意味が無く、今現在のことだけを考えるのが良いのと同じように、今現在目の前にいる人・事を大事にする方が良くないでしょうか。
その理由もごく簡単。
誰かと話合っている時に、何かの連絡が入ってくるとします。
その連絡の発信者は、受信者が現在どういう状況下にいるのか分かりません。
つまり、今すぐに答えても後で答えても相手に与える印象の差はほとんどありません。
ところが、今現在、目の前で話している人は、相手の姿がそこにあってよく見えます。
つまりごまかしも利きません。
親族の交通事故や危篤の知らせなら分かりますが、そんなものが頻繁に入るわけでもないのに、常に通信機器でスタンバイして応じるということは本当に良いことなのでしょうか。
川崎
歩きながらのスマホ。なんどぶつかりそうになったことか。相手がどいてくれるのが
当然という態度。情報は今送らなきゃ、今見ないとだめなのか本当に頭にくることが多いです。ストーカー加害者もこういう人を狙い撃ちするので本当に気をつけてほしいです。
日本で生まれた漢字は厳密にいうと「国字」と言います。(中国にはありません)
例えば「畑」という字は中国ではなく、日本で作られた「国字」です。
殆どは中国生まれの外国語が「漢字」です。
現在中国で使われている漢字の多くが日本からの逆輸入と以前聞いて驚きました。