ここしばらく、1日に水を2リットル飲むと健康に良いというお話・宣伝を時々聞きます。
ドイツに長く住む私が知っているのは、例えばボルビックの宣伝。
本当でしょうか(笑)?
自分のすぐ周りでも数人が実行しています。
その内の1人は言います。
「朝は特に血がドロドロになっているから、きちんと水を飲まなきゃ…」 と...
そこで私がついつい聞いてしまうのは、「喉は渇いているのですか?」です。
答えはノーです。
でも、「喉は渇いていないけど、朝は血がかなりドロドロになっているはずだから…」
さて、本当に血はドロドロになっているのでしょうか?
確かに例えば朝オシッコをすると、色が濃い(黄色い)ことがよくあります。
でも血の場合、その濃さの違いとは、サラサラがドロドロになる程ひどい粘度の違いでしょうか?
人間(生き物)の身体って、必要なものは自然に身体が求めないでしょうか。
お腹が空くとか、身体に水分が不足してくると喉が乾くとか…
汗をかいた時は、喉が渇いて水が本当に美味しいです。
お腹が空いた時も、食事は本当に美味しいです。
(あまりお腹が空いていない時には)たいして美味しくないものも、どういうわけか空腹だと美味しくなります。
それも身体のセンサーのなす技ではないでしょうか?
身体がそれを求めてもいないのに食事をしたり水を飲む必要が本当にあるのでしょうか?
お相撲さんは別です。
そして身体のそういうセンサーが壊れている人も話しは別です。
つまり、病気の人です。
そんな時に、丁度武田邦彦教授の動画がユーチューブで見つかりました。
興味があれば一度ご覧ください。
(ユーチューブでも動画ではなく音声のみです)
では、身体が必要としていない水を無理して(?)飲んでいる知人にどうしてそれを伝えないのでしょうか?
それは、ヤボってものだからです。
誰が何を信じるかは、その人の自由です。
キリスト教を信じている人が、仏教を信じている人にキリスト教を勧めるのは野暮ではないでしょうか?
その逆もしかり。
そういうことをすると、最悪の場合は宗教戦争などになります(?笑)。
人間って、よっぽど柔軟じゃないと、最初に得た情報を優先して、後から入る情報を排除しようとする傾向があります。
最初に入ってしまっている情報が、どうしても正しいと思いがちです。
次に入る異なった情報はどうしても排除しようとしないでしょうか。
敬遠されることが分かっているのに、わざわざそれを指摘して嫌われるかもしれないリスクを負う必要があるでしょうか?
水を多く取り過ぎると健康を害すると言うのなら別です。
そういう場合は嫌われるのを覚悟でも言うかもしれません。
でも、多少水を飲み過ぎても死ぬ人はいないでしょう。
だったら本人が満足する方が良いと思います。
慰安婦問題や南京問題についても似たようなことが言えます。
以前ひょんなことから、ある日本語がペラペラのドイツ人と南京問題のお話になりました。
私が、あれは証拠もない捏造のお話ですと言うと、その次に会った時に「このKatsuichi Hondaさんの本に書いてあります」と、わざわざその本を持って来て見せてくれました(笑/汗)。
世の中には嘘を書いてる本も間違いなくあるだろうとは誰でも思っていても、自分が読んだ本がそうだとは思わないものです。
だから、無理して「いや、それはフェイクインフォメーションですよ」と言って相手の知識を無理やり変えさせようとするのはヤボなことだと思うのです。
日本ファンドイツ人は、そういった本やプロパガンダのせいで、南京問題も、慰安婦問題も、どちらもあったものと普通は思っています。
にもかかわらず、日本ファンです。
とてもありがたいことです。
日本が好きになったり、日本に興味を持って日本語をマスターしたドイツ人にとって、日本にも南京問題のような虐待の歴史があった方がより好感が持てるとも思います。
慰安婦問題は、ロジカルに考えさえすればそれは有り得ないとすぐに分かるので、Behind the Nanking Massacre の登場を期待します。
川崎
介護の教室に行っていた時、看護師が「2リットルの水」説のまるで
信奉者でした。私も調子を崩したとき、この説かなり信用していたなあ。