海外青年協力隊でパプアニューギニアに行った人の、とても興味深いお話し。戦争中の日本(軍)は本当に悪者だった?

走り仲間の中に一人、以前日本の海外青年協力隊でパプアニューギニアにいたことがある人がいます。

ジャングルの奥地で、靴を履かない生活をしている部落が点在しているような所だったそうです。

日本人がそんなところで生活をすれば、普通は経験できないようなことばかりの連続だと思います。

そんな経験をしながらその人、そどういうわけか滞在中にその部落の長老にとても気に入られたらしく、帰る時に槍などの珍しいお土産をたくさんもらったそうです。

いくつかの珍しいお土産の中でも極めつけは、その長老の名前「Aeta」でした。
「将来もしお前に子どもが生まれたら、その子にわしの名前を付けてくれんかの〜」と言われたそうです。

そしてその人はその後何年か経って結婚して男の子が生まれましたが、その長老の名前を本当に付けてしまったのです。

奥さんもその名前を気に入ってくれたのでそんな珍しいお話しが実現したわけですが、他にももう一つ、とても興味深いお話がありました。

パプアニューギニアと聞くと、世界地理に疎い私には、それがどこか分かりません。

そこで早速世界地図で調べてみると、オーストラリアのすぐ上なのですが、それはインドネシアのすぐ右下でもあります。

つまり、第二次世界大戦で日本軍が戦った激戦地のひとつでした。

パプアニューギニアで有名な町と言えば人口が僅か5千人程度のラバウル。

ラバウルと聞けばある程度年齢のいった人なら聞いたことがあると思います。

そう、「さ〜ら〜ば〜、ラバウルよ〜…」と歌にもあるラバウル航空隊で有名です。

つまりその人が日本の海外青年協力隊員の一人として行っていた先は、第二次世界大戦中の日本軍が戦っていた激戦地の一つだった訳です。

ちなみに当時のラバウルの状況がどうだったかをWikipediaで見てみると…

ラバウルは1910年にドイツに建設され、その後はオーストラリアの統治下となり、1942年にオーストラリア軍と戦い勝った日本が占領。

陸海軍合わせて9万余の大軍が配置され、日本軍は豊富な兵力と自給自足体制による食料の確保、そして堅固な要塞を築き上げていた。(著者のコメント: 人口僅か5千の町に9万の兵隊さんです!)

これをみた連合軍は、反攻にあたり頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領せず包囲するにとどめた結果、終戦時まで日本軍が占領、保持することとなった…

となっています。

そしてそのラバウルには実は、戦争中にソロモン諸島で亡くなったその元海外青年協力隊員のお婆ちゃんのいとこの慰霊塔がありました。

日本人には有名な慰霊塔だそうで、日本からは毎年慰霊団が行っているそうですが、お婆ちゃんは怖くて行けなかったそうです。

さて、どうしてお婆ちゃんは怖かったのでしょうか?

戦後のGHQを元とする、日教組や多くのマスメディアによる、戦時中の日本軍は悪役であったという嘘の情報が原因でした。

日本人はパプアニューギニアでは恨まれているからということで怖くて行けなかったそうです。

でも孫の滞在を良い機会として、ついにお婆ちゃんも勇気を出して訪問したそうです。

そして、そこでお婆ちゃんが実際に体験したことは、驚くことに良いことばかりでした。

村人からハグされる、ハグされて持ち上げられる、日本語を話す人がいる、日本の民謡を歌える人がいる、日本人の名前(苗字+さん)を下の名前に付けている人がいる… 等でした。

日本人の名前を付けるというのはどういうことかというと、「加藤さん」から取って、「かとうさん」を下の名前で付けている人がいたそうです。

多分、加藤さんという立派な軍人さんがいて、現地の人にも慕われていたのでしょう。面白いのは、「Kato」ではなくて「Katosan」であることです。

日本人の間で周りから「加藤さん」と呼ばれるのでそうなったのでしょう。それはドイツでもあり得ることです。

ちなみにトルコではその昔、似たように子ども(の下の名前)に、日露戦争で活躍したTogo(東郷)やNogi(乃木)という名前が付けられたと何かで読んだことがあります。

当時の日本軍人は、パプアニューギニアで農業を現地の人に教えたりして慕われたそうです。

お婆ちゃんも最後には泣いてしまったそうです。

以前ユーチューブの動画でも、インドネシアの老人たちが日本の歌を歌っているのを見てびっくりしたことがあります。

もし戦争中に他の国の軍隊に占領されて酷いことをされていたら、その国の歌など覚えるでしょうか?

あるいはもし仮に無理に覚えさせられたとしても、その後歌う気がするでしょうか?

どの国でも起こり得る一部の心無い軍人の愚行を除き、「日本軍は戦争中に悪いことをしていた」というのが嘘であることは既に知っていましたが、ラバウルでもその事実が残っていました。

さて、さらに長くなりますが、このお話を聞いていたのは酒の席。酒の席での私はついつい酒が進んで記憶が怪しくなります。

そこでこのブログにまとめた後に、聞き間違い、勘違いなどがないかどうかを本人に文章を確認してもらいました。

そこでいただいたのが次のお返事ですが、ご丁寧に追加のお話まで教えていただけました…

はい、問題ございません。

戦争がらみで他にパプアで有名なのが南海支隊のスタンレー山脈越えです。

オーストラリア軍が占拠する南のポートモレスビーの攻略を厳命されていた兵士が、無謀と言われた山脈越えに挑む話です。

ほとんどの兵士が飢えとマラリアで亡くなり、それでも生き延びた兵士がポートモレスビーの街の光が見えて安堵した矢先、撤退命令が出されるという史上最悪の戦場と呼ばれた場所。

今ではその兵士たちのルートが慰霊団のルートとなり、またココダトレイルというトレイルランコースになり、当時は戦いあっていたオーストラリア人、パプア人、たまに日本人が参加して開催されています。

また、思い出しましたがパプア独立の父、長期にわたり首相を務めたマイケル・ソマレ元首相も当時の兵士、柴田中尉から教育を受け日本を好きになり尊敬していました。

中尉がなくなった後も中尉の奥様をパプアに招待するなど、日本との交流を続けていました。実は日本とパプアはかなり結びつきの強い国なのです。

川崎

追記: このブログの投稿後、それをお知らせするとご本人から再びコメントをいただきました…:

ありがとうございます。

当時の事を思い出して、自分もうれしくなりました。

ちなみに、当時の兵士達を祭っている神社が宇都宮にあります。

護国神社といいます。

その近くに柴田中尉の奥様は小料理屋をやっていて、昔会いに行ってみました。そしたら、ソマレ首相との写真やパプアの写真がお店の至る所に貼られていました。

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カテゴリー: ドイツの暮らし, 日本、日本人について
海外青年協力隊でパプアニューギニアに行った人の、とても興味深いお話し。戦争中の日本(軍)は本当に悪者だった?」への1件のコメント
  1. senryusato より:

    、「さ〜ら〜ば〜、ラバウルよ〜…」・・・・・知りません。
    パブアニューギニア?・・・その場所が日本と関連していた事実も激戦地だったことも知りません。

    もっと歴史の先生もきちんとこういう第二次世界大戦中、後の日本のことも教えてほしかった
    (ほとんど入試に出ませんから)教えないのでしょうが・・・・。ドイツはきちんと教えていることを
    よく教育テレビではやっています。偉いです。

    (全くの余談ですが)
    日本犬、特に柴犬は、毛並みが短く利口で小型、吠えない性質が好まれ、ヨーロッパ、とくに
    スイスでは人気だと放送されていました。
    そのスイスの柴犬君、ネットで探した名前を付けられていました。
    「佐藤栄作徳川政宗」(あはは)
    「偉い人の名前を羅列したらしいのですが長すぎるし、時代も混合してるんですけどお。
    笑いまくりました。

    日本から遠く離れた所で
    佐藤栄作正宗君が、活躍してくれることを願います。

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