月刊誌「致知」からです。大正13年生まれ、津田英学塾を出て在日米陸軍司令部で働き、93歳の今も週に2、3日仕事に行く梅島みよという人がいます。
敗戦当時、GHQが英語のできる日本人を必要としていたので、英語ができる津田英学塾の学生が多く声をかけられたそうです。
最終的には仕事をすることになった彼女も、最初は「昨日まで喧嘩をしていた人の下で働けるものか」と断ったそうです。
それを読んで思い出したことがあります。
ドイツでは、仕事先が一緒の夫婦が離婚をしても、二人共そのままそこで働き続けてもあまり違和感がないようです。
日本人の夫婦なら、どちらかが辞めてしまうのではないでしょうか。
自営業の場合でも同じです。夫婦で小さな事業を営んでいるとします。離婚してお互いに別の異性のパートナーまでできていても、元奥さんが相変わらず元ご主人の仕事を手伝っていたりします。
そういう例をいくつか知っていますが、日本なら離婚後は元奥さんはもう元ご主人の仕事を手伝わないのではないでしょうか。
それもルース・ベネディクトの「菊と刀」に出てくる「恥の文化」から来るものでしょうか。
そこから「村八分」という言葉も思い出しました。村八分というのは、例えばある村で何かの悪さを働いた者が受ける制裁で、葬式と火災だけを除いて全ての村人から仲間はずれされることだそうです。
もし何か悪さを働いても、二分だけは仲間はずれされない日本独特の優しさだという意見もある中、面目を尊重する日本人にとっては村八分もかなりの制裁なのではないでしょうか。
西洋ではどうなるのでしょうか。
多分日本のように村民同士だけで決めるのではなく、誰か選任の人の登場となるのでしょうか。
ちなみにデュッセルドルフには、月刊誌「致知」の読者会があります。 ⇒ 「木鶏会」
川崎
村八分という言葉こそ廃れましたが、地方がますます疲弊していく中、あるでしょうね、こういう
悪習。私はこれも公然としたいじめだと思います。
そう、ドイツはちょっと不思議な国です。
結婚してたとえ姓を変えて、また離婚してもその姓のまま働き続けますよね。
例えばメルケルさん。前の旦那さんの姓ですよね。彼女は研究者だったから
論文などをそのメルケル姓の時に一番書いて認められたのかなあ・・・・・。
ちょっとうらやましい。姓を変えなくても変えても生きられる社会。
私は通称で旧姓を通していますが、役所の届け出の名前で呼ばれると
戸籍姓を忘れて返事すらしないこともあります。
戸籍姓、とっても違和感あり!