うちのエセバイリンガルの長男は、漢字の勉強以外にもソロバンを習っています。
Mac Air という、目の前にぶら下がった人参がとても魅力的なようで、一番簡単な下の級からどんどん上に上がって行きます。
長男の目の前にぶら下がったそれは、親にとっては目が飛び出るものですが、どういう訳かそういう約束になってしまいました…汗。
でも約束の級は1級なのでちょっとやそっとで取れるものではありません。3級までしか取れなかった親自身がその難しさを知っています。
そんな長男の送り迎えで気が付いたのが、ソロバンに来ている子供たちの挨拶の良さです。
終わって帰る時に誰もが「先生、ありがとうございました。さようなら」と言って帰ります。
「フムフム、最近の駐在さんのお子さんたちはとても躾が良いようだ…」
でもちょっと待ってください。みんながみんな同じように挨拶をしています。うちの長男も。
あれっ? 変だな〜と思って聞いてみると、その挨拶はソロバン教室で教えているそうです。
素晴らしい!
最近の日本では、知らない人に連れて行かれたら困るから子供に挨拶を躾けない教育者?親?がいるという変な現象が起きているそうです。
そんなバカな…
おっと、馬鹿はまずい、そんなアホな…
それは逆でしょう…
少しでも多くの人が進んで挨拶をし合うようになれば犯罪は減ります。
挨拶って元々敵意がないことを相手に示すために行われたのが始まりだと言われています。
つまり挨拶をしなければ…敵?
最近ニュースに出てくる、安倍さんと関係があるという学校の件、左側にいる友人によると軍国主義だそうです。
どうして軍国主義なのか分かりませんが、まさか教育勅語じゃないですよね…
教育勅語というと、12の徳目から成りますが、左側の人にはちょっと気になりそうな最後の12番目を除けば良いことしか書いてありません。
12の徳目
父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
恭倹己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
学ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
以テ智能ヲ啓発シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
徳器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
そして左側の人にちょっと気になりそうな12番目も左側の人以外には全く気にならないのではないでしょうか?
でも強いて代替案を出せと言われれば次にようになるでしょうか。
家族、村、町、県、国などの所属する各組織に危機が迫ったなら、それら日頃から各人が恩恵を受けている各組織のため力を尽くし、それにより永遠の日本を支えましょう。
自分のためである利己主義は社会を崩壊します。
ちなみに、左側の人たちが同じように軍国主義と結びつけて嫌み嫌う、はるか昔の鎌倉時代にできた(*)「君が代」。
君が天皇であるという解釈でしょうか…
* そのさらに原歌は平安時代の古今和歌集からで、当時のある女性から愛する男性への恋の歌。最も古い国歌としてギネスブックにも…
川崎英一郎
インターネットで ソロバン…汗?
教育勅語が法律違反???
もはや私は横井さん、小野寺さん以上?…汗。
日本の教育界、インテリ層を左翼が支配しているというのは本当なのですね…汗。
そろばんは玉の数は違うのですが中国から来たようです。今はでそろばん学習塾もインターネットで
やっていて、沖縄と北海道の子どもがネットでそろばんや暗記対戦できるんですよ。
そろばんという一見アナログな計算機でも、今はそろばんの先生はネット操作なしには学習塾はなり立ちません。
たしかにねえ・・・・一部には近所の子どもといえど、他人に挨拶するな、という親はいるようです。
家の父親はランドセルの子どもに「おかえりーーー!」と声をかけたとたん、逃げ出され、電柱の
陰から父親を睨んだそうです。
あはは・・・・。色々難しい時代ですが、あいさつをしない人には「孤独死」が多いようですよ。
少し前までは「挨拶さえできればいい人」と呼ばれましたよね。
確かに天皇の勅語ということから考えれば12番目を除けばいいことですよね。
でも教育勅語は今は法律違反です。「教育基本法」で教えてはならないこと、とされました。
でも朕からはじまるこの勅語、どこか削るという形で世の中に出てくるのも
なんとなくおかしいかも。
勿論左の中にも瀬戸内寂聴さんとか、教育勅語、部分的復活をいう方はいます。
若い人は「わけのわからないこといやーーーーー」で終わってしまいます。
学校の校則でがんじがらめの日本では、これ以上の拘束も校則も勅語も
いやなのかもしれません。