私はドイツのギムナジウムで30年以上、外国語としての「日本語」を教え、後にデュッセルドルフの補習校でチームティーチングを依頼されて小学1年生から中学3年生の子たちが「国語」として日本語を学ぶ現場に1年間立ち合う貴重な機会を得ました。
現地校に通うこどもたちは、ドイツ語と日本語を使い分けますが、多くの場合、外国語としての「日本語」は彼らにはあまりにも易しすぎ、国語としての「日本語」はあまりにも難しすぎるのです。
私たちはあまり意識しませんが、外国語として学ぶ「日本語」と、日本人が生まれてすぐに母語として身につける「日本語」の間には圧倒的な隔たりがあります。
その両極端の間にいる子たちを目のあたりにし、彼らの「ことば」を大切に育んでいきたい、そのために何が必要だろうか、何ができるだろうか、といつも考えています。
コミュニティwatashi 磯 洋子
具体的に教えていただけるとありがたいです。
ありがたい、という言葉も、薫陶という言葉も、考えてみれば「国語」ではあるけれど
話し言葉ではありませんしね。
話さなくても、この言葉はなくしたくない、と思ってはいます。
教育界にそんなに長いのですね…
その問題が浮き彫りになる理由が分かりました。