嫌いなものを遠ざけてしまう人がよくいますが、実はそれってとてももったいないことです。
嫌いなこと、嫌いな物、嫌いな人を遠ざけていると、いつまでたっても嫌いなもの、苦手なものであり続けます。
しかも世の中不思議なもので、遠ざけようとすればするほど近ずいてくることがあります。
それは嫌な奴のお面をかぶった神様のように、神様が与えてくれた試練・人生のステップだと考えられないでしょうか?
ちょっと勇気を出して、そして根気を持って嫌いなものに接し続けていれば、嫌いなものもいつかはそうではなくなってしまいます。少なくともある程度の免疫ができます。
苦手なことも進んで鍛える、練習すると、得意なものに変わってしまいます。でもそのままにしておくと、いつまでたっても嫌・苦手なまま。
「嫌な奴は、嫌な奴のお面をかぶった神様」、「本当の優しさとは?」、「なぜやってみなきゃダメなの?」の所に書いてありますが、人生もう一歩突っ込んで、自分の幅を広く、そして奥行きを深く、強く賢くしようと思ったらそれは必要不可欠です。
嫌いなものに対しても逃げずに面と向かって受け入れてしまうと、意外とすんなり受け入れることができるようになります。
それは苦手なものも同じです。苦手なことを頑張って鍛えてしまうと、いつかそれは得意なものに変わってしまいます。
優しいもの、当たりが良いものは心地よいのですが、そういうものは楽な分だけ自分のためになっていません。
GHQやある2国、半日日本人が広めた「日本は悪者」という近代史も、敬遠するのではなくて、自分でしっかりと調べてみれば、事実は違うところにあるということが分かってきます。
でも私たちは皆はかない人間。できれば人生楽しく過ごしたいものです。
嫌な奴と無理して付き合うことはありません。
単に、それでももし嫌がらずに面と向かえば、別な局面が現れてくるというだけのお話です。
川崎英一郎
嫌いな人と私は付き合いません。
働いてないので余計付き合う必要もないし。
けれど、よーーーく考えると私の場合、「嫌いな人」というのは
私自身に似ていることがよくあります。
自分の欠点を見せられているようで嫌なのかもしれない。
年取ってわかったことです。
そういうスタンスで全く構わないと思います。
でもイザ、そういう機会に遭遇してしまった時は、逃げるのではなく正々堂々と対面した方が良い局面が現れやすいようです。
私も嫌な奴とは一緒に飲みに行きません...笑。