例えばスキーを教えている時に思うのですが、一般のご父兄は、滑っていて転んだ子供にすぐに手を貸して引っ張り起こしてあげます。
でもそれは本人のためになっているでしょうか? そうではなくて、自分で起き上がるのを見守ってあげる方が良くないでしょうか。私は後者を選びます。
すぐに手を貸してしまうと、それに頼ってしまって上手くならないからです。温室育ちと同じで弱くなるというか上達が進みません。
自分で起きようとする努力が、雪上での足の使い方、スキーの取り回しを覚えて上達につながります。
どうしても起きれない時とか、疲れていてどうしようもない時などは勿論別です。
この辺は特に女性が弱いようです。ご存知の通り、女性には子供に対する無償の愛があります。
本当は男性にもあるのですが…笑。
どうしてもその無償の愛が邪魔をしてしまうようです。でも手を貸し過ぎると弱くなってしまいます。
弱くて耐性が低いと、当然のことながら世の中を生きて行くのが大変になります。
子供の成長を心の中から本当に望むのなら、温室育ちで甘えさせて耐性を低くするよりも、「ライオンは我が子を谷に落とす」 の方が良くはないでしょうか。
勿論、程度によります。
そういう意味では、潰れてしまいさえしなければ、試練はあればあった方が良いことになります。
いとしき子には杖で教えよ/親の甘いは子に毒薬/親の甘茶が毒になる/可愛い子には薄着をさせよ/可愛い子には灸をすえ、憎い子には砂糖やれ/可愛い子には旅をさせよ/可愛い子は棒で育てよ/獅子の子育て/獅子の子落とし(獅子の子を谷へ落としてその勢を見る)、子に美田を残さず…
そのことに関する言い伝えは枚挙にいとまがありません。
既にこちらに長く住み、ドイツ語もできる日本人が、日本から来たばかりの日本人で、こちらに腰をすえて頑張ろうという人に助け(過ぎる) るのを時々見かけます。
それは如何なものかと思うのです。
弱虫熟成機に思えるのです。
駐在さんなら一時的な滞在なので、助け(過ぎ) も構わないかもしれません。
例えばネットdeデュッセルの存在のように(笑)。
そういう意味ではネットdeデュッセルは、駐在さんなどの比較的短期滞在の人のためにはなっても、こちらで腰をすえれ頑張ってみようという人のためにはなりません。
そういう人は、何から何まで自分で探して行動した方が、そのひとの(本当の) ためになるのです。
寒くて暗い国の優秀なドイツ人と、地中海に面した暖かい国で楽に生きる人たちの違い、同じ日本の中でも温暖な気候の県からは偉い人は出て来ないということを考えた時に、行き過ぎの優しさで本当に良いのでしょうか?
行き過ぎの優しさ (= 甘やかし?) が、今の日本人を弱くして、うつ病もどきの蔓延につながり、さらには毎日毎日100人もの人が自分で自分の命を絶っているのではないことを心から願います。
川崎英一郎
行き過ぎはやはりねえ・・・。例えば親や親戚に「仕事」をあてがってもらった学生は辞めるのも
早いとか(日本の場合)。
最近の保育士(保母という言葉はなくなった)達は、やたらと子供の喧嘩や失敗を止めません。
その点はとても素晴らしい。ダメとも言いません。
少しとおくから子どもたちの行く末を見てくれています。
すぐ手を貸さない、というのも確かに愛情だと思います。
[…] 「嫌な奴は、嫌な奴のお面をかぶった神様」、「本当の優しさとは?」、「なぜやってみなきゃダメなの?」の所に書いてありますが、人生もう一歩突っ込んで、自分の幅を広く、そして奥行きを深く、強く賢くしようと思ったらそれは必要不可欠です。 […]