私は長年、地中海世界で星空を眺め、星空を撮影してきました。
暑く乾燥した世界の天と地の間で、オリオン座を意味する古代の紋章を探し続けていました。放浪の結果、様々な星空を語ることが出来ます。月々の星空を紹介しながら古代へとタイムスリップの旅に誘うページとご理解ください。
■9月の星空
ホメロスが歌った「オデュッセイア」第5巻272行に「すばるの星をながめたり、おくれて沈む牧人座の星(アルクトゥルス)」(呉茂一訳)とあります。遅れて沈むアークトゥルスは「沈みの遅いアークトゥルス」とも紹介されます。これは秋のつるべ落としと相まって、いつまでもアルクトゥルスが西の空低く輝いていることを歌っていて風情があるのですが、ギリシャ世界よりも緯度が高いこの街では、北極星が高いので、より星が西の地平線に回りこむように沈んでゆきます。いつかはこの回りこみを意識した映像も手がけておきたいと思います。
先月紹介した「夏の大三角」は少し西の空に輝いています。高緯度であり、冬の夜の長さを考えますと、12月でも楽に見えると思われます。さて夏の大三角が西に傾き始めますと、ペガスス座が中天に輝いています。ペガスス座の目印は「秋の四辺形」と呼ばれる明るい星が確認できます。

2014年9月の天文現象
8日 中秋の名月
8日 5時31分 (今月では)距離が最近(35万8389km、視直径32.3’)
9日 3時38分 満月(今月もスーパームーンに相当)
20日16時22分 (今月では)距離が最遠(40万5845km、視直径29.6’)
23日 4時29分 秋分
24日 8時14分 新月
9月上旬の明け方の東の空には金星が輝いています。そしてしし座の1等星レグルスとの接近が6日頃ありますが、緯度が高いので辛い状態だと思われます。今月は天文現象として特筆するような現象はありませんが、8月同様にスーパームーンと中秋の月を楽しめると思います。
また薄い緑色で手書きした線ですが、この四辺形の2星から成る南北ラインです。このラインはヘレニズム時代以後のギリシャ人天文家たちによって天球上の経度0度としていました。
■ペガスス座
今月は「秋の四辺形」として名高いペガスス座を取り上げます。この4星は現在では1星はアンドロメダ座の顔の部分に相当するアルフェラッツ星ですが、古代ではアンドロメダ座とペガスス座で星座を共有していました。このように2星座にまたがる星は他にも有り、ぎょしゃ座とおうし座の角に当たる星がそうです。
星座物語で不満に思うことがあります。星座は学名としてラテン語標示と決まっています。しかもラテン語を通じてローマから19世紀までのヨーロッパは学問的には一つでした。つまりラテン語でペガスス座となるのですが、ギリシャ語の世界では「ペガソス座」となるのです。私にはペガソスと読んだ方がしっくりと来ます。古代ギリシャ人たちがこの星座をペガソス座と呼ぶのは、文献的には紀元前5世紀のアテネの天文学者ファイノスに見られ、フェレキュデスの断片などから紀元前6世紀くらいに所謂ギリシャ星座が成立したと思われます。それ以前の東方世界ではペガスス座の辺りの星々を「野原」と呼んでいました。以前紹介したムル・アピンに記載されています。古代ギリシャ世界の星座の総数はまちまちでして、プレアデス星団が独立星座になっていたり、様々なのです。かみのけ座は紀元前3世紀に、そしてこうま座は紀元前2世紀頃の成立ですし、廃星座アンティノウス座は紀元後2世紀のハドリアヌス帝時代になります。
星座物語ではペルセウスが天馬ペガソスに跨がり、海の化け物を退治するのですが、古代ではベレロポンが乗馬した馬として印象の方が強いようです。

ペガソスが立ち寄る場所として、またベレロポンに関係してコリントスが挙げられます。ベレロポンの話を紹介しますと、様々な古代の生活様式にまで発展しますので、詳しいことはまた別の機会にしたいと思います。

増長したベレロポンが天から落ちた話がギリシャ神話に有ります。トルコのリュキア地方には「ベレロポンの墓」と伝わる場所がトロス遺跡があります。
ベレロポンの墓はこの画像の眺めからですと、右下にあります。赤いペイントで矢印が書かれていますので、矢印に沿って移動していくことになります。最後に2Mほど岩を登るとベレロポンの墓の有る岩窟に辿り着くのですが、ここからが意外と大変でした。どれがペレロポンの墓とされるレリーフがあるのか、そのレリーフを見つけるのが意外と苦労しました。
■星座物語ではヘリコン山
ヘリコン山という凹型の山があります。北麓にはアスクラという遺跡があり、ヘシオドスが活躍した村です。彼はこの近郊で詩神から詩人としての霊感を与えられました。ヘリコン山の北から東にかけての一帯はムーサの谷と呼ばれています。
神話ではアポロンとパン神が音楽を競い合った時、ヘリコン山は気分が良くなって山の標高が高くなってしまったといいます。その高さがオリンポス山を脅かすほどになったので、ゼウスは天馬ペガソスに対して、山頂部を強く蹴って山を低くさせるように命じました。命令通りペガソスは山頂部を強く蹴ったために山頂が潰れて凹型になり、しかも「ヒッポ(馬)クレーネーの泉」と呼ばれる泉が湧きだした。というおまけが付きます。面白いことに現在でもこの「ヒッポクレーネーの泉」が実在します。この遺跡を見つけるのは初心者には難しいと思いますが、現在ではグーグルマップにも画像が見られますし、画像と遺跡の位置も正しく反映されていました。グーグルではアスクリと綴られた村が近郊にありますが、訪れると別名の村の名前になっていると思います。古代のアスクリ(アスクラ)ではありません。ところで遺跡を取り囲む柵がないことから、遺跡の表示も取り外されてしまうことが多いです。途中の道中表示も存在しません。当時は過去の写真と地形を見て場所を推察していくしかなかったです。こんな感じでギリシャ人は遺跡を守るためにわからないようにしてしまう例は結構あります。この時は日本人としては最も細かくギリシャ遺跡を散策している「ギリシャ檸檬の森」さんと同行しています。


気になるアスクリ(アスクラ)遺跡の詩神神殿はこんな感じです。


どうも本文の初めは学名通りペガスス座と書いていましたが、舞台がギリシャに移るとペガソス座と書いてしまう私です。(笑)
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