努力の努は、女のヌけた力? ドイツ現地校に行く日本人の子供の場合…

ドイツの現地校(Gymnasium)に通う13歳のうちの娘は、一応バイリンガルっぽくなりつつありますが、どちらかと言うとドイツ語の方が上手く、日本語の方が苦手なので毎朝「公文」で日本語を勉強しています。

家庭ではドイツ語を禁止するほど日本語を使わせても、どうしても学校の影響の方が強くなります。

現地の小学校に上がる前から公文の国語と算数をやっていたので、学校に上がったばかりの頃は算数がとても良くできて、クラスで一番の優等生でした。

そこでバカな親(つまり私・笑)は、ひょっとしたらうちの子は「優秀な出来る子?」などと勘違いもしました(笑)。

でも学年が上がるにつれて親の期待を裏切るかのように、そのメッキは段々と剥がれてゆき、少しづつ普通になってしまいました(笑)。

そして先日の朝、「努力の努はどういう字?」と聞くので、「女のヌけた力だよ」と答えました。

そこでうちのカミさん(神様)に噛みつかれました。

「それってセクハラよ! じゃない、パワハラよ!  でもないか、…。  とにかくバッシングものよ!」と言うのです。

「えっ(汗)?  そう習わなかった?」

先生にそう習ったのか、自分で勝手にそう覚えたのかはもう覚えていませんが、少なくともカミさん(神様)はそう習わなかったようです。

でもどうして努力の努を「女のヌけた力」と表現すると腹が立つのでしょうか(笑)?

女は力で勝負する存在ではなく、(家族)愛で勝負する存在なのに…

男が、「男のヌけた力」と表現されたらちょっとまずいとは思いますが…

KAWASAKI

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カテゴリー: ドイツの暮らし, 教育

天への貯金

「天への貯金」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

自分のためにはならないこと、あるいは自分が犠牲になっても、何か他の人のためになることをすると、その行為がプラスで天に貯金されるという世の中のシステムです。

自分のためにはならなくても、他の人のためになる「何か良いこと」とは一体何でしょうか?

例えば簡単な例では「一日一善」の一善です。

混んだ電車の中でお年寄りに席を譲る(そんなのは当たり前という人もいます)、困っている人を助ける、公共のために無償で何かをする(ボランティア)などです。

日本では昔それがあたり前でした。見返りを求めずに見ず知らずの人に親切にする。勤労奉仕と言って、複数の仲間で公共の仕事を無償で行う、公共の場を無償で掃除するといったようなことです。田舎ではまだ当たり前ですが、都会ではそうではありません。

そういう意味では都市化が、マザーテレサの言うところの愛の反対である無関心につながり、それが都会の人間をおかしくしてしまっているのではないでしょうか?

元々日本人は、例えば自分の家の前を掃除する時、両隣の方にまではみ出て広めに掃除します。それが利己主義の場合は、きれいにキッチリと自分の家の前だけを掃除します。あるいはひどい場合は掃除もしないかもしれません。

戦後の西洋化で利己主義、つまり「自分さえ良ければ良い」あるいは「必ず見返りを求める」という自己中が蔓延してしまいました。その傾向があまりにも強いと、善の行いを理解することができずに、例えば無償の掃除に対して、「それって変な宗教?」と勘違いさえしてしまいます。

でも万物に長短ありで、自己中にも良い面があります。

例えば外交。外交と言えばガキの喧嘩。他国の利益を慮るのではなく、何よりも自国の利益が最優先です。他国の利益を慮っているように見えることがあれば、それは単に戦術に過ぎません。

利己主義がはびこる今日の日本も、元々は謙遜を美徳とする武士の国。世界の物差しで測れば利己主義の程度はまだまだ低いので、外交となるととても弱くなります。本当は高杉晋作くらいの良く言えば気概、悪く言えばハッタリが外交には欲しいのですが…

そんな日本、日本人が私は大好きです。自己中よりも、謙虚な方がかっこ良い、気持ちが良いからです。そしてそれは自己主張が強い利己主義の西洋でもポジティブに受け入れられます。

でも利己主義が強い人は別です。残念ながら利己主義の強い洗脳、影響によって「それって変な宗教?」となってしまうからです。

無償の行為は一体自分のためにならないのでしょうか?

実はなるのです!

「神様が見てくれているからです!」 というのは説明しても分からないであろう、子供向けの説明で、そんなことを言うから「変な宗教?」と勘違いされてしまうのですが(笑)、世の中、自然の仕組みがそうなっているようなのです。

大人も信じるか、信じないかは勿論各人の勝手なのですが、一見無償の行為に見えるものも、実際には有償の行為で、目に見えない報酬が天(自然)に貯金されて、それが時々引き下ろされるようなのです。

ちょっと不都合(?) なのは、天の貯金は自分で引き出したい時に自由に引き出せるわけではなくて天任せです。引き出しのATMも窓口も勿論自然任せです。

例えば私の場合の小さな例だと駐車に困ったことがありません。車を駐車したい時にはいつもそこに駐車スペースが空いています。

極端な時は、目的地に着くと目の前の車がまるで待っていたかのように出て行ってくれます。あるいはアウトバーンを走っている時に現われる渋滞は自分の側ではなくて対向車線側がはるかに多いのです。

でもよく注意して見ていないと、そういうことに気がつかないかも知れません。さらにはそういう払い出しが自分の代には無くて、自分の死後の子供たちに出ることもあるようです。

「な〜んだ、そんなんじゃ嫌だ」と思う人もいるかもしれません。でもちょっと待って下さい。自分が天にする貯金が将来、自分の子供や、さらにその先の子供たちに下りるというのはとても素敵なことではないでしょうか?

誰でも自分の子供は可愛いものです。孫ならもっと可愛く、ひ孫ならさらにもっと…

ひ孫の先まで見れる人はあまりいませんが、とても可愛いのは間違いなさそうです。そういう可愛い子供たちに天の貯金が残るのはとても素敵なことではないでしょうか。

アメリカのインディアンに、イロコイ族という部族がいて、「我々が何かを行う時、七世代先の子孫にどういう影響を及ぼすかを考える」そうです。例えば土地を開発するような時に、200年先を考えて判断すると言うのです。

短期の利益、経済成長に走るのではなく、そのような長期的な視線が必要ではないでしょうか。インディアンと言えば、日本人同様、白人の迫害にあっても誇りを失わなかった民族です。

実際のお金の貯金を残すのはお勧めできません。温室効果で子供がひ弱になって身を崩すことが多いからです。

ところでお釈迦様の無財の七施をご存知でしょうか?  お金がなくても出来る施しが7つもあるというものです。

無財の七施

1眼施
温かい眼差しで接する

2和顔悦色施
明るい笑顔、優しい微笑をたたえた笑顔で人に接する

3言辞施
心からの優しい言葉をかけていく

4身施
肉体を使って人のため、社会のために働くこと。無料奉仕

5心施
「ありがとう」「すみません」などの感謝の言葉を述べる

6牀座施
場所や席を譲り合う

7房舎施
訪ねてくる人があれば一宿一飯の施しを与え、労をねぎらう

元手も掛け金も不要な天への素敵な貯金をしてみませんか?

無宗教で俗物的な私などは、普段からものすごく運が良いので、「これはきっとご先祖様たちがかなり貯金をしてくれているな〜」と感じます。そしてその貯金を自分は使い減らしてしまっているのではないだろうかと焦ってもいます…笑。

その仕組みがあるのを頭では分かっていても、どうも身体ではピンとこないので、何か良いことをした時は、心の中で「チャリン、チャリン」と言っています。そうすると本当に貯金をしている気がするからです(笑)。

例えば朝、仏頂面(ぶっちょうずら)をしている人に笑顔で「おはようございます!」相手は相変わらず仏頂面かも知れませんが、心の中で「チャリン、チャリン」…笑。

その時にもし相手もニコニコしていたら貯金にはなりません。プラマイゼロです。相手がニコニコしていない時だけ貯金になります(笑)。

逆に自分の機嫌が悪くてニコニコしていない時に、ニコニコして声をかけてくれる人がいたら、マイナスの「チャリン、チャリン」です(笑)。

もし7施では物足りなかったら、是非月に一度のデュッセルドルフ駅前のお掃除に加わって下さい。

自己中の人にはボランティアの掃除は出来ないと言われているので、是非一度試してみて下さい(笑)。

川崎英一郎

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憲法改正の前に大事なこと

8月30日デュッセルドルフ Black Boxで「不思議なクニの憲法」が上映されます。

英語字幕がつくことになったとのことです。ますます期待が高まります。日本人以外の方でも英語で観ることができるので友人知人をお誘いの上ぜひ足を運んで色々な声を聞き、考えるきっかけとしてほしいな、と思います。

映画「不思議なクニの憲法」 上映会&監督とのトークセッション

8月30日 18時開場、18時半上映開始 デュッセルドルフ BlackBoxにて

映画「不思議なクニの憲法」 デュッセルドルフ上映会の案内PDF

→ https://goo.gl/hwCRRK

 

そもそも「憲法」とは何なのか、「誰のために」「何のために」あるのでしょうか。
改憲、護憲の前に「憲法」とは何なのかを知っておかないといけません。

根本的な問題として、市民は権力に対してどういう態度を取るかということが非常に重要です。

まず、「権力を持つ者は放っておけば権力を乱用する」ということを嫌というほど味わった歴史があります。
だから憲法によって権力者が権力を乱用しないように縛るのです。
これが「立憲主義」という考え方です。

市民が権力に対する監視の目を怠ると権力者に好き勝手を許すようになってしまいます。
だから権力を厳しく監視し疑わなくてはいけません。本来マスコミの役割はこれなのですが、権力側は逆にマスコミを「大衆操作」の道具として利用してきました。

いわゆる「プロパガンダ」です。

戦中の日本のメディアは報道ではなく政府宣伝媒体に成り下がって嘘の情報ばかり流していたことは誰もが知るところ。現在はどうなのか?

 

マスコミからの情報も鵜呑みにしていては危険だということを歴史が教えてくれています。現在においても、市民は常に権力者を警戒し、情報を鵜呑みにせずに自分で考えなければ自分たちを守れないと思った方がよいのではないでしょうか。

ですから、政府が憲法改正を唱えたら、「どんな魂胆があるのか」とまず気を引き締めて用心しなくてはいけません。しかも以前は憲法改正を声高々に唱えていた安倍首相が、参議院選挙前は争点化を避け、選挙後に一転改憲への意欲を再び表明したという今の状況です。

憲法のささいな言葉の書き換えが大きな禍根を残さないように一字一句疑ってかかる必要があります。

一般人には難しいですから、憲法学者、法の専門家の意見にあたる必要があります。

有名人が言っている、テレビが言っている、関係ありません。憲法の議論を観ていると論点のおかしなものがほとんどです。ほとんどの議論は意図的に9条のみに焦点をあてています。しかし、安倍首相は「前文からすべてをふくめて変えたい」と言っているのです。

例えば重武装中立を主張する改憲派で有名な人物が自民党の改憲案には大反対、論外と切り捨てています。自民党改憲草案に非常に重要な人権上の問題点が数多くあること、現行憲法だけでなく、「立憲主義」が根底から覆されることなどを理由に挙げています。改憲派ですが、自民党の案は論外なのです。

憲法学者で自民党の草案に反対する人は大勢いますが、支持、擁護するという人は一生懸命探しても見つけられません。

 

私たち国民は情報を鵜呑みにせず、自民党の主張とそれに反対する主張の両方に冷静に耳を傾けたうえで、最後は一人一人が自分で判断できる力を持ちたいものです。

以下参考

自民党憲法改正草案

http://constitution.jimin.jp/draft/

同Q&A

http://constitution.jimin.jp/faq/

以下のURLには憲法学者が急遽出版した「改憲をめぐる素朴なQ&A」という小冊子PDFがあります。

「改憲をめぐる素朴なQ&A」

https://antianpo.wordpress.com/2016/06/23/%E6%94%B9%E6%86%B2%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E7%B4%A0%E6%9C%B4%E3%81%AAqa/

 

対談 「憲法と民主主義」

http://www.thefuturetimes.jp/archive/no07/kimura/index02.html

わかりやすいのでちょこっと抜粋を載せます。

木村「憲法は最高法規であると同時に、国の長期的な理想や理念を掲げるものです。日本をどういう国にしたいのか、あるいは、世界に対してどんな貢献ができるのかを考えて、まず日本人にとっての美しさや良心のようなものを探し、それをきちんと落とし込んだものである必要があるわけです。 ~中略~ 実際、現行の日本国憲法も、原案はGHQによるものですが、それを翻訳して条文にするプロセスにおいて、日本が民主主義を実現するためにどのような要素を盛り込み、どんな言葉で表現したらいいのか、繰り返し折衝や議論が行われています(※2)。私が自民党の改憲草案にどうしても共感できないのは、そういう崇高なプロセスを決定的に欠いているからだと思うんです。その結果、非常にグロテスクなものができあがってしまう。もっというと、憲法を変えるというのは、具体的には〝条文を書き換える〟という作業になります。それは非常に技術的な問題なので、トレーニングを積んでいない人が条文を作ると、楽譜の書き方を知らない人が楽譜を書いているような、〝あなたが歌ってる曲とは音符がズレてますよ〟っていう状況になりがちなんです」

後藤「僕が自民党の改憲案を読んだときに感じた怖さって、今の話と繋がってくると思うんです。あの草案には、それを誰がどう読むかによって、どのようにも解釈できる言葉が多く含まれているように感じたんですね。例えば、現行憲法の〝公共の福祉〟という言葉が、わかりにくいからっていう理由で〝公益及び公の秩序〟という言葉に書き換えられていますけど、〝公益〟とか〝秩序〟ってすごく定義することが難しいし、その時々によって形が変わる可能性があるものだと思うんです。決して一義的なものじゃないというか」

木村「その通りだと思いますね」

後藤「僕は、条文の中にそういう曖昧な表現や言葉があるのはどうなんだろうと思うんです。条文の中の言葉の曖昧さを後退させると、ある政権はこう読んだけど、別の政権が立ち上がった時にまったく違う読み方をされてしまう、まったく違うふうに読めてしまう可能性が増してしまうわけですよね?」

木村「句読点がひとつ入るかどうかで、意味がまったく変わってくる可能性だってありますからね」

後藤「僕は、悪い方向に〝読めてしまう〟可能性があるというのは本当に危険だと思うんです。草案に出てきた〝緊急事態〟っていう言葉にしても、何を想定しているのか全然わからないんですが、〝緊急事態=コレとコレ〟っていうふうに具体的に示されないと、解釈次第でなんだって緊急事態にされて、最悪の場合、恣意的な武力行使や人権の抑圧がなされてしまう可能性があるわけですよね。だから条文は〝これ以外の読み方はあり得ない!〟と言えるような、権力が濫用されないものであることが大事だし、そうでないものを受け入れてはいけないと思うんです」

 

Manabo!

山片重信

 

 

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日本社会のモンスターたち。

ポケモンのレアものが東京の○○公園を徘徊していると、噂がたち
夏休み期間をいいことに15歳までの子どもたちがうようよしているらしい。
8月に500人が補導された。中には広島から歩いてきている中学生も
いた。驚きである。夜な夜な若い子たちがうようよしている公園では
レアモンスターを探すモンスターでいっぱいと聞く。

ドイツではこんな現象あるのだろうか。
アメリカや日本、そして韓国の一部での話だけだろうか。

ニュースを観て人間子どもモンスターより驚いたのは、
それに付き添う「親」までいたことである。
子どもだけでは夜は危ないので、ポケモン探しにママやパパが付き添って
夜の街をうろつきまわっているのである。
一体どういうことなのか。親も一緒に夜に現れるモンスター狩りに出かけたいらしい。

親の子ども化か、モンスター化か。

モンスターペアレンツの名はとうに知れ渡っているがこれがますます加速している
のも分かるような気になる。

運動会に、ビデオを持参し、自分の子どものかけっこに不服を申し出て
先生に「ビデオ判定」を求める。

給食に嫌いな物が出たからと言って学校に怒鳴り込んできてメニューの変更を
申し出たり、栄養士の変更を強制する。

学芸会の劇に主人公になれないわが子に学芸会の日「さぼる」ことを命じる。

以上のことは稀にあることではなく、日本全国どこの学校でも結構
あることなのでもう「担任」の先生の心労が察せられる。

ポケットモンスターがいつまで日本に徘徊しているかわからないが
そう長いことはないと思う。所詮ゲームである。子どももじき飽きるだろう。
けれどもう一つのモンスター、「モンスターペアレンツ」は
ずっと日本にはびこり続けるような気がしてならない。

モンスターペアレンツはご自分たちのことをモンスターだななんて
ちっとも思ってなくて愛情深い親としか思ってないから。

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オリンピックと女子力。

期待していた日本女子卓球がドイツに敗れ銅メダルとなった。
それにしても中国パワーはすさまじい。世界中に「帰化」の名で
中国人が卓球界に君臨している。ドイツも一人を抜かして
皆、中国名だった。オリンピックは世界大会に比べ、国籍の縛りが
少ないので世界中に散った中国人が活躍しやすいと解説者が言っていた。

それにしても「女子」なのに中国人のかわいげのなさもまた「すさまじい」
同性セクハラを承知で言うと、第一見た目に男か女かわからない。
ドーピングや漢方薬で男から女へ性転換図っているのでは、といぶかってしまう。

スマッシュが決まると「どえーっつ!」とか「うおーっつ!」とか
殆どライオンのような雄たけびを上げるのもほとんどが中国選手。女ですか?
化粧も、ネイルケアもピアスも、卓球を離れた時の私服に至るまで
「女っぽいもの」「見た目」を気にするような物を禁止されるらしい。

だから中国では卓球「日本女子」の人気が結構高い。
見た目がかわいい、テレビでアイドルのような愛想を振りまく、偉そうなことを言わない
など卓球を離れると「芸能人」化するから。

中国はそんなことは御法度である。卓球界から不謹慎で追放される
可能性だってある。

レフリー、審判、などにも卓球、バドミントンなど文句を言っていきり立つのも
外国人女子が多い。でもこれで覆ることもあるのだから、
文句言った勝ちか。

昨日も、バドミントン女子の試合を観ていたら、「金メダル」を
争う日本とデンマークは、再三にわたって、デンマークの
「文句」で試合が中断されていた。
挙句の果てには、せっぱつまって来て自分に利がないと悟ったデンマークは
シャトルを変えろ、と審判に迫り、審判が「NO」と言うと、寄ってきた日本女子の
ラケットを手で叩くという乱暴なことまでやっていて
世界にこんなかんしゃくを拡散させていた。
気持ちはわかるが・・・・。

日本のバドミントンはめでたく金メダルを取ったが
一番面白かったのは、手に汗握るマッチポイントでの
デンマークの「文句言い」の場面だった。
さすがヨーロッパ女子。自己アピールは半端ではない。

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憲法改正、護憲派と改憲派

尊敬する人の一人、ASOBO の山片さんが熱い想いで8月30日にデュッセルドルフのBlackBoxという映画館で上映される映画、「不思議なクニの憲法」とそれに続くトークセッションを宣伝しているので私も一生懸命応援しています。

世界で最も「ことなかれ主義」が強い民族日本人。いえ、これは決して批判やネガティブなことなどではなく、それがあるがゆえに世界一、世界平和を願うがゆえに大東亜戦争という同胞の大きな犠牲を払ってまでも人種差別をこの世からなくすことができたと思います。

その代わりにと言っては変ですが、戦後6年間GHQ(アメリカ) の支配下にあって国の憲法さえも当時のアメリカが作ることになりました。

水は低い方に流れるなどの自然の法則はいつまでたっても変わりありませんが、人間が作るものははかないものでしばしば変更が必要です。

例えば法律。簡単な例で言うとオートバイに乗るのに昔はヘルメットが不要でした。事故が少なかったからです。あるいはシートベルト。やはり昔は不要でした。そして今、ドローンという今までなかったものが登場して、慌てて法が整備されつつあります。

一国の憲法は法律ほどではないものの、やはり人間が作ったものなので不完全であり、時代と共に調整が必要です。ドイツなどは自分たちで作っておきながら、過去に40回以上も変更されています。

日本の憲法は当時のアメリカが作ってそのまま70年。現在に合い続けるわけがありません。例えば自衛隊の存在自体が既に憲法違反です。

今回の映画のことを知り、憲法のことは既に以前勉強していましたが、憲法を変えることに関しては不勉強なので少し勉強してみました。

その結果、憲法の改正には護憲派と改憲派というものが存在するそうです。戦勝国が作った憲法を70年以上も守り続けた方が良いという護憲派の主な主張は、第9条があるからこそ今の平和が保たれていると言うもののようです。

そこで早速インターネットで調べてみると、早速下記のような動画が見つかりました。とても興味深いものなので、是非一度ご覧ください。

護憲派の人たちには平和主義の人たちが多いようです。武器や軍隊を持つことが戦争につながるので反対であると言う理論のようです。

一見正しいように思えます。でもちょっと待ってください。夜寝る前に自分の家に鍵をかけるのはなぜでしょうか?

夜中の間に不審人物に家に入って欲しくないからです。もし何かあった時に良くて物取り、運が悪ければ命まで奪われてしまいます。

間に合えばですが、その時に頼れるのは誰でしょうか? 警察ではないでしょうか? 警察は何をしてくれるのでしょうか?

暴力で来る不審人物に対して暴力で対抗します。最初は話し合いをするかも知れませんが、理不尽な暴力に対しては暴力で対抗します。

最悪の場合は拳銃を発砲します。

先日北朝鮮がミサイルを発射しました。理不尽なことが起こるのは私たちの家の周りだけではなくて、国の周りでも起きます。

その時に警察の役割をしてくれる組織、つまり軍隊がいなくてどうするのでしょうか? 話し合いで解決できるのでしょうか? 話し合いで解決できるのであれば、北朝鮮に拉致されている日本人などは存在しないのではないでしょうか?

今現在も北朝鮮に拉致されている日本人のことを、平和主義者はどう考えているのでしょうか? まさか自分の身に起きていることではないので良いということはないと思います。

平和主義者はどうやら感情や表面だけで武器や軍隊に嫌悪感を抱いているようです。それはまるで動物がかわいそうなのでベジタリアンになるというような不思議なロジックです。

でももし本当にそれで済めば、北の方はロシアから、そして沖縄はじきに中国に占領されてしまわないでしょうか?

中には中国に占領されてしまうのも良しとしている日本人もいるようですが、本当にそれで構わないのでしょうか?

護憲派の人たちなど、GHQの洗脳にそのまま染まってしまっている人たちが多くいます。でもそういうひとたちこそ典型的な従順な日本人なのです。

そういう従順な人たちがいるからこそ日本は美しいのであり、日本ファン外国人のみならず私のような日本ファン日本人も存在します。

でも今は一度この辺りでこのことを良く考えてみたく思います。

川崎英一郎

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憲法改正 ~憲法の未来は私たちが決める

憲法と憲法改正についてまず第一に重要なことは何でしょうか。

それは、私たち一人一人が情報に踊らされずに自分の頭で考える術を持つこと。

やみくもな憲法改正反対は違う、

安倍政権だから反対というのも違う、

安倍政権だから賛成というのも違う。

10年後は安倍政権ではないだろうし、自民党が政権を担っているとも限りません。

首相が変わろうが政権が代わろうが、憲法は生き続けます。

そして憲法に反する法律はつくることができません。

逆にいえば、草案をつくった現政権がどんなに素晴らしかろうが、その逆であろうがまったく関係なく、将来の別の政権が、憲法にすきがあれば自由と人権を抑圧する法律をつくることも可能になります。だから将来においても権力者が悪用することができないように余程慎重に精査しなくてはいけないのです。

今日は8月15日、終戦記念日ですね。

以前に紹介した、終戦の翌年に伊丹万作氏が書いた「戦争責任者の問題」は、この憲法改正の問題にあたっても胸に突き刺さります。

https://goo.gl/Wpft89

 

ここでは論点がずれないように、憲法改正=戦争という単純な図式化を避けるためにもあえて戦争には触れません。

ドイツでは、当時もっとも先進的、民主的と言われたワイマール憲法下でナチスが誕生して凄まじい人権侵害を行われました。日本でも戦前、戦時中の厳しい言論統制、治安維持法の制定、特高警察による拷問など国民の自由と人権が著しく抑圧されました。

この改憲草案を誰がどういう目的でつくったのかということとは切り離して、厳密に草案の中身を知り、専門家の見解にあたった上で、最後は自分の頭で考える必要があります。

例えば昨日紹介した部分でも、 → https://goo.gl/eJ6Jcm

「象徴」「元首」に変わると何が違うのか。

「個人として尊重」「人として尊重」に変わると何が違うのか。

「公共の福祉」「公益と公の秩序」に変わると何が違うのか。

 

「大して違わないんじゃない?」と思うかもしれません。

でも、法律的には非常に大きな違いかもしれません。

そのあたりのことは法の専門家の意見を聞かないことには、はっきり言ってさっぱりわかりません。

面倒くさいですが、それで私たちの未来が決まるのですから知る必要があります。

子供には「将来のために勉強しなさい」という私たちオトナが、

自分たちの未来を決める憲法のことを面倒だといって放っておいてよいはずがありません。

そういう私自身が本当に無知なので、これから憲法について少しでもより深く知りたいと思います。

映画「不思議なクニの憲法」 上映会&監督とのトークセッション

8月30日 18時~ デュッセルドルフ BlackBoxにて

映画「不思議なクニの憲法」 デュッセルドルフ上映会の案内PDF

→ https://goo.gl/hwCRRK

dusポスター・チラシ表 (2)

MANABO!

山片重信

http://manabo-de.jimdo.com/

 

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